鼎談:公民館のあたらしいカタチvol.2(前編)

1月21日に『パーラー公民館大報告会!!』を実施いたしました。曙で行ったパーラー公民館の実施報告、調査・検証報告会を行った後、パーラー公民館の設計・監修をお願いした京都市立芸術大学教授の小山田徹氏、ふくおかNPOセンターの古賀桃子氏をお迎えして若狭公民館館長・宮城潤氏と「公民館のあたらしいカタチ」について鼎談形式でお話いただきました。

パーラー公民館の取り組み

宮城潤(以下、宮城):パーラー公民館は曙地域に公民館がほしいという声をうけて活動を始めました。「公民館とは何なのか」というと、戦後、社会教育法に基づいて設置され始めた頃は、行政も財政的に厳しい状況のなかで、地域住民が集って自分たちで話し合って学び合いながら生活課題、地域課題を解決していく、その拠点としてつくられていったという経緯があります。以前、施設はないけれども自分たちで持ち寄って場を作っていく青空公民館がありました。そういったところから着想を得て、パーラー公民館という取り組みを始めました。
パーラー公民館のパラソルは市販のパラソルで、黒板テーブルの足は脚立です。あるものを組み立てたセットでいろんなことが実現できたと思っています。パラソルは、非常にキャッチ―で公園にあると「何かある」とアイコンとして分かりやすい。黒板テーブルは、寄ってきて書いて飽きたらいなくなってまた戻ってこれる。非常に入りやすくて抜けやすい、緩やかな動きがあったなと。人が関わりやすい仕掛けっていうのが存分にあったと思ってます。仕掛け方がうまくいったのかなと思っているんですが、小山田さんはどう思われますか?

小山田徹(以下、小山田):「入りやすくて抜けやすい」っていうのは、どの団体にも結構重要なタームになるんじゃないかなと思うんですよ。ある責任感を背負って様々なことを始めたりすると、いつの間にか大きなものを背負っていると自分で思いこんでちょっと辛くなることもある。始めやすくて辞めやすいっていうものが多様にあった方がいいんじゃないかなと。公共っていうのは往々にして始めると責任感が出てきて、辞めるのにも理由が必要になることが多い。民間もしくは民間と言っても個人事業主がいる場では、始めやすくしんどくなったら少し個人的理由で休むってことが可能だったりする。それが公共と公共でないものの大きな差なんだと思う。様々な分野にそういう「入りやすくて抜けやすい」システムと共にそれで責任を果たしていけるようなものが出来たらいいと思っている。子どもたちは直感的にそういうのを感じていて、「入りやすくて抜けやすい」ものをすぐに見抜く。事前登録が必要で、常に監視の目があって帰るときは一言声かけなきゃいけない。それは必要なことなんだけど、子どもたちからするとちょっと敬遠してしまう可能性はあるよね。ただ公園などの本来遊び場である場所ならば、自分たちが見つけた場所という気持ちで遊んでる可能性がある。行動様式の中にも「これがやりたい」とやっていても、いつのまにか違う遊びに変わっていたりとかそういうのは上手にやっているんですね。なので今回はうまいことそういうものを誘発していたんじゃないかと思う。

古賀桃子(以下、古賀):空間がとてもユルく過ごせる素敵な空間が出来ているという印象を抱いていましたが、今日の報告を聞いてすごくびっくりしたのが運営のしたたかさです。例えば、映像での記録はバッチリですね。これ、たぶん想像するに脚立をしっかり立ててこの場面を切り取るぞぐらいな感じでかなり計画的に映像記録を撮っておられる。最近流行りの言葉で「エビデンス」とか言われますけど、きちんと評価(*1)にかけられるだけの事実面をしっかりと収集され、かなりしたたかに運営もなされていて、それがゆえのこの取り組みなんだと思って非常にびっくりしたところです。

宮城:公民館にいると地域の魅力だとか地域課題がよく見える、よくわかる。そして公民館活動にもそれは反映されていく。逆に言うと公民館がオモシロイ活動ができるようになれば地域もオモシロくなるんじゃないかなと思いました。しかしながら生き生きと活動している公民館ってどれだけあるのか、いい活動がされていてもしっかり伝わっているかどうか、なども含めて考えている。行政が設置している公立の公民館は全国で14600館ぐらいあります。「14600館ある公民館でそれぞれオモシロイことが起こったら、日本のあちこちがオモシロイ地域になる!」と思った時に、こんな有効な資源を活かさないともったいないという想いが出てきた。それは若狭公民館がオモシロくなればいいというだけではなくて、「公民館ってオモシロイよこんなこともできるよ」っていうことを示してどんどん広げたい。公民館という「施設」ではなくて「機能」を地域の中でうまく動かすことができれば地域がオモシロくなるんじゃないかという仮説があった。公民館がない地域でも公民館的な機能と公民館の魅力を持っていれば、その地域が生き生きしだすと思った時に、パーラー公民館も曙で活動をしておしまいではなかった。「いろんなところに広げていくためにどうしたらいいか」と考えると評価と記録が大切になってくる。この事業では、何かアクションを行う際、こういう活動面白いなと思った人が後で真似しやすいように、ポイントをあらかじめ設定することを意識していました。

古賀:終わりの時期を設定してやっているのも非常にしたたかだなと思いました。今日の報告を聞いていて、いろいろなところで活用されそうなノウハウだなと思ったのですが、情報の普及の仕方についてどうお考えですか?

宮城:基本的に全てオープンにしています。月に一度行っていたワークショップでは開発した県外のNPOと相談しながら作っていきました。ワークショップそのものだけでなく、考え方も含めてオープンでありたいなと思い、映像も載せるなどブログで細かく報告しています。真似してほしいというか、広がっていくことを狙いとして取り組んでいるのでどんどん広がっていくと嬉しいなと思っています。

新しいアイデア、いろんなアイデア

小山田:アーティストって生き抜く力とか生き抜く工夫というものをたっぷりと磨いていて、その辺にあるものを組み合わせて新しい価値あるものに変えていく能力に長けている人材が多いと思う。貧しかった時期もしくは物資が足りない時期、制度が及ばないところを、それぞれのアイデアといろんなものを供出しあったりすることで、凌いできた時代がある。高度成長期が終わった後、公共というものがなんとなく上から降ってくる時代になってから何か微妙な、むずがゆい、動きが止まったような感じっていうのが出てきてて、自分たちで場を獲得する感覚っていうのがちょっと薄くなったような気がする。何かがちょっと足りないというのは実はチャンスなんじゃないかなと最近また思い始めている。何もないところで、もうすでにあるものを使って新しいものを作り出す能力を「ブリコラージュ能力」っていうんですよ。博物館などに収まっている民具などはブリコラージュの集大成なんですよ。その地域で取れるもので、その地域にある技術を使って作り出された必要なもの。そういう能力って、現代の人類にとって失われつつある最大のものだと思うんですよね。最近は何か必要なものがあるとホームセンターや専門店で買ったり、もしくはインターネットでポチっと押しちゃったり。制度的なものに対しても、降りてくるのを待ってる状態があって、細かいものを紡いで、その場を凌ぎながら、新しい価値に至る、っていう経験が少なくなっているような気がする。それは子供の遊びの中にもあるような気がします。誰かが作ったプログラムを延々とやってしまっているとか。ワークショップにしても、あまり用意しすぎるとゴールが決められているような感じ。参加して、ある体験をしたかのような錯覚を与えて満足度をつくる。本当にそれ、気をつけなきゃいけないポイントだと思います。用意されるのが当たり前になって待っている。体験というのは誰かが与えてくれるものっていうのが、子供の遊びの中にもあるような気がしてます。パーラー公民館で遊び場に変わる、ってすごいことだと思うんですよ。最初から与えられてるんではなくて気がついたら遊んでた。そしてその遊びがどんどんいろんなものと混ざっていってるっていう、そこはすごい大事なポイントなんじゃないかと思っています。

宮城:超少子高齢化となって、消費する社会ではなくならざるをえない状況の中、自分たちが地域をどう見て、どのように自治を獲得して豊かにしていくかということを考えた時に、いろんな知恵とかものを作り出すアイデアだとか、今あるものを生かすことが非常に重要になるなと思ってます。公民館という「施設」はないけれども公民館的な「機能」をということで、曙地域でパーラー公民館を実施しました。雨が降ると困るから屋根があった方がいいなとは思いますが、ただ箱さえあれば解決するかって言うとそうでもないと思っている。自分たちに必要なものは何なのか、動いたなかで見えてきたものを獲得していく。実際「公民館を作ります」ということになった時、「こういうものが必要だ」ということを、きちんと自分達の言葉で言えるかどうかというのが大事かなと思っています。

古賀:パーラー公民館を含む若狭公民館の取り組みは、実に具体的で非常にわかりやすい方法で実現されているなあと以前から注目していました。パーラー公民館を改めて拝見して、館にとらわれない公民館の新たな可能性というか、その次元まで到達しつつあることに非常に驚きを感じました。
「館がなくても公民館が出来る」って、多分公民館に長らく関わっている方には非常に違和感があるような話かもしれないんですけども、それを実践したっていうことと、今小山田さんがお話しされたところと重なるかもしれないですが、いわゆる「公民館利用者と公民館運営者の関係性を変える」というチャレンジをされたなと。子どもも含めてやれる可能性を明らかにしてくれましたね。

大切な「人の存在」

小山田あともうひとつ大切なもの、「人の存在」というものです。どんな組織でも、どんな場所でも一人もしくはふたりの良き人というのがいないと残念ながらまわらない。完璧な制度なんてない、完璧な空間というのもなくて、結局はやっぱりそこにいる、もしくは参加する人にかかっているんですよね。今回も実働してくれた二人とか、上原美智子館長とか、いるだけで可能性があったんですよね。あと「何もしない」というポリシー。「何もしない」ってめっちゃめっちゃ大変なんですよ。人の話を聞くっていうお仕事の重要さっていうのは本当に痛感していて、聞く技術っていうのをお互いに磨き合わないと場も地域も成り立たないはずなんです。なのでそういうことが可能になるという事は、出来る人が今回は居たっていう事です。システムなどは発信されていっても、なかなか人の事に関しては言いにくいですよね。そういう方とどう繋がっていくか、どう価値観を作っていくか、どう伝えていくか。他の地域でも絶対いるはずです。

宮城他でも展開できるように「汎用可能なプログラムにしたい」「真似しやすいようにいろんな記録もオープンにしていく」とお伝えしましたが、実際活動しながら思うのはやはり人なんですね。同じようにやろうとしても同じようには出来るわけがない。パーラー公民館をやるという企画を立て、まちづくり協議会や小学校に話をしに行って、やるということが決まって準備を進めていた。館長には上原さんしかいないなと思ってお願いしたら快諾していただいた。だから出来たと思う。曙小学校の校長先生も地域の子どもたちのことであればいいですよということでいつも2つ返事、理解があった。本当に恵まれていたなって思います。

古賀地域づくりの現場では、よく「属人性が問題だ」という話も聞きます。この人がこの時居たからこの取り組みは生まれたんだ、という意味あいですね。やはり宮城さんのように、地域の人をよく知っておられる黒子役が居るのといないのとでは、きっと違ってくると思ってます。この人がここに関わっていただくのが適材適所だ、という風に判断して繋ぐことが出来る人。今後の普及では、ノウハウもさることながら、黒子役の役割もいろんなとこに明確に伝えていただくといいのかなと思いました。
ここ数年、縁あって文科省の関連の委員会にちょこちょこ参加をさせて頂いています。今、社会教育行政自体が市町村の中で非常に立場が弱く、なかなか評価をされなくなっていて、予算も減り職員さんの配置もギリギリでやっておられると感じる。豊かな企画をやるとか、それなりの予算でしっかり、それこそ評価までやっていくっていうのは行政の現場では難しい状況だと感じています。先程から今後どうするのって話ばかりしてるんですけれども、資源の確保についての私の私見ですが、法的な取り組みや制度に頼ろうと思ったら、多分パーラー公民館自体の生命や付加価値に関わってくると思う。民間ベースで、お金や人といった資源が回る仕組み、要検討かなと思いました。

(1*)パーラー公民館では、利用者の傾向や活動を把握し、成果を明らかにするため、調査.検証をおこないました。調査に関する報告は、こちらからご覧ください→

後編はこちらから→

2018年1月21日 那覇市若狭公民館にて
鼎談:小山田徹(美術家)
古賀桃子(ふくおかNPOセンター代表)
宮城潤(NPO法人地域サポートわかさ理事/那覇市若狭公民館館長)
文責:佐藤純子(NPO法人地域サポートわかさ)