首里公民館
『首里クェーナ保存会』

平成元年首里城正殿復元の起工式奉祝のため結成。平成6年には那覇市無形文化財に指定。琉球の古謡である「クェーナ」の保存、継承の為のうた合わせ、踊合を行っています。

%e9%a6%96%e9%87%8c%e3%82%af%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%8a%ef%bc%91

公民館名 首里公民館
サークル名 首里クェーナ保存会
代表者名 玉城紀子
活動人員 20名
設立年月日 平成25年
活動日・時間日 第1・3火曜日 14:00~16:00

サークルの活動内容を教えてください。

総勢20名で活動しています。顧問2名(上里平三)、会長1名(玉城弥生タマシロヤヨイ)、副会長2名(玉城紀子タマキノリコ)、書記1名、会計1名、監査1名です。
1989年(平成元年)11月3日の首里城正殿復元の起工式奉祝の為結成しました。平成6年には那覇市の無形文化財に指定。首里城祭(11月3日)は毎年参加。
「ひやみかち節」の作曲家で知られる山内盛彬 (ヤマウチセイヒン/1890-1986音楽研究家)が採譜したクェーナを宮平さん、奥松さんが伝授してもらったそうです。戦後、一度は途絶えていた首里クェーナがコザで復活したと聞いています。その後も継承者の高齢化の
ため再び途絶えかけたクェーナを首里の方たちが継承したそうです。様々な経緯を経て、平成元年に「首里クェーナ保存会」を結成しました。

※クウェーナとは、「おもろ」と並び称される琉球の古謡のことである。その歌詞には築城という国家的大事業の無事竣工を予祝するもの(大城クェーナ・兼城クェーナ)や王命により中国、日本へ旅立つ男たちの公務竣工と無事帰還を祈るもの(旅旅・旅クェーナ。ダンジュカリユシ)などがあり、生業の歓びをあらわすもの(ウリジングェーナ)、豊作と国家の安泰、繁栄を祈り知念村斉場御嶽を讃える歌(アガリユウ)などがある。
首里のクェーナは、1976年に東京在住の見里春さん等のグループがレコーディングされた「踊合-首里の旅うた」をお手本に、1989年(平成元年)11月3日の首里城正殿復元の起工式奉祝の為結成した「首里クェーナ保存会」によって受け継がれ、平成6年には那覇市の無形文化財に指定された。
首里クェーナ保存会では首里公民館での毎月2回の定例会でお稽古をしている。平成14年時点では、会員が高齢となり存続が危惧されていた時期もある。
平成13年度には那覇市NPO支援補助金によって首里クェーナの冊子も発行された。

サークルの魅力は?

クェーナというのは、舞台発表するために唄われているものではないので、そのままにしておくと埋もれてしまいなくなってします。クェーナというのは、祈りの唄で、女性たちの生活の中での些細なこと、祈り合っていたものが、踊り合い(ウドゥエ)へと発展していったものなんです。ご主人さんたちは首里城にお務めてしている奥さんたちが唄いあった唄なので、教養も含まれるし、言葉遣いも美しいんです。
現在、保存のために文字としても残しているし、発表の場も設けていますが、本来は発表する目的で唄われていたものではないんですよ。ただ、発表する機会が増えることで、クェーナを知ってもらうことができるのでね。その甲斐あってか、少しずつですが会員も増えてい
ます。
クェーナはアカペラ、音は声のみです。新築祝の唄(大城クェーナ)、糸紬や機織りの唄(うりずんクェーナ)など、現在残っているのは13種類ですかね。「アガリユウ」は、同じメロディーで唄われます。歌詞は100くらいあるんですよ。当時の街並みがイメージできるような歌詞です。保存、継承するので精一杯で、新しい歌詞を生む所までは至っていません。

古語の魅力やクェーナの10人でも20人でも和になって唄う「一唱百和」(音取の一唱声をそろえて心を合わせて響かせること)に惹かれ参加する方も少なくないですよ。(メンバーの金城洋子さん)

サークルの雰囲気をお教え下さい。

県立芸大生(卒業生)もいますよ。おもろなどを勉強している子や、舞踊を踊っている方も結構いらっしゃいますし、琴の先生もおられます。芸能や文化に関心がある人が参加していますね。
裁縫の先生もいらしゃって、萌黄のウッチャキを製作してもらいました。元々、衣装は、白い衣装ではななく、一張羅だったですよ。それぞれの女性が打掛などを着て、集まり唄っていたらしいんです。今は特に、なかなか着物を着る機会が少ない方にとっては、一張羅を着るということが馴染まず、どうしてもユニフォームのような形になってしまいますが、本来のあり方や普及の仕方をうまくつくっていければいいと思っています。

サークルの参加メンバーはどのような年代が多いですか

年代は34歳~80代ですね。クェーナに興味ある人達が集まっています。博物館でのイベントをきっかけに入会した方もいます。知り合いがクェーナのメンバーで、誰でも興味があれば入れると知り参加したという方もおられます。その当時は、普通の人でも入れるということが周知されていなかったのですが、特に『ユタ』など特別な人しか唄えないという訳ではありません。ただ、古語があり、そういう意味でも、興味がないとなかなか続かないですね。
伝統的なものを失いたくないという思いを持っている人が多いです。女性であれば誰でも参加可能です。年齢は問いません。

サークル参加メンバーの地域はどちらですか(公民館付近か)

最初は首里の方が参加していましたが、会員が減っていったこともあり、泊、安里、その他の地域からも参加するようになっています。現在は、首里に縁のある方を中心に、浦添、西原の方もいらっしゃいます。また、出演の際、人手が足りない場合は『古謡の会』など、助っ人で入ってもらうこともあります。

メンバーとはサークル外での交流もありますか?

プライベートで頻繁に集まるというようなことはないですが、30代から80代まで幅広い世代が集まり、文化に関心のある方たちばかりなので、クェーナを通してメンバー同士は家族のような関係ですよ。

今後の活動について

2016年の『公民館まつり』に出演することになっているので、ここで周知できたら良いなと思っています。これまでは、湛水流(三線会)の出演枠の中で出ていたんですが、今回からはクェーナ保存会として出演することにしました。20 年くらい継続していますが、そういった周知活動にはあまり力を入れてこなかったんです。けれど、やはり保存・継承のためにはいろんな人に聴いてもらうために、発表の場にも積極的に参加することは必要だと感じています。

%e9%a6%96%e9%87%8c%e3%82%af%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%8a%ef%bc%92

取材者名 玉城紀子(たまきのりこ)
活動歴  (20年近く)

サークルに参加したきっかけをお教えください

文化協会の中にクェーナが所属していたときに、事務局として会員の方たちのお世話をしていました。当時、儀間鶴先生(立ち上げ人)はじめ、当時の会員は70~80代ばかりで、私は40代でした。
首里言葉を聞きたくてクェーナに入ったんです。休憩時間、昔話やおうちの話をする時に首里言葉が出てくるのを聞いていました。お茶出しなんかをしながら、事務局をしていたんです。15年前くらいに東京に行くことになり、事務局も辞めたんですが、前会長の金城光江さんにクェーナに戻ってくるように誘われ、戻ってきました。けれども、その時には以前おられた方たちはもうおらず、新しいメンバーになっていましたね。

サークルを続けている理由/たのしいところをお教えください

会長ということもあり、会を取りまとめること自体は大変ではあるけれど、本番の心が洗われるようなところや荘厳な浸れるところに魅力を感じています。『和合』、会員みなさんの協力もあり続けていけていると思っています。

サークルでの目標やモットーにしていること

若い会員を増やすことですね。
また、子どもたちにクェーナの面白さを伝えるために、総合学習の中でクェーナの公演ができないかと考えています。または、朝礼やちょっとした時間の中で触れ合いを通してクェーナを伝え、知ってもらうことができればいいなと考えています。
本来は小さい時からクェーナを耳にしていたものだと思うので、そういった環境を作りながら普及させてしていきたいです。那覇市の無形文化財にも認定しているので、後世に伝えていくのは義務だと思っています。

公民館を利用して便利な所

クェーナは首里で唄われていたものなので、やはり首里公民館で活動することは当然のことだと感じています。『首里文化祭』、『首里お水取り』がメインなので、地理的に公民館はベストです。使用料で400円~600円を支払っていたが、国指定になったことで、公民館利用料が免除になりました。経済的な面でも、公民館が活動拠点になっているのは必然だと思います。

公民館を利用して改善してほしいところ。ここを良くしたらいいのにと思うところ。

(特になし)

取材日:2015 年12月27日担当:平良亜弥