石嶺町に100年以上前から伝わるエイサーの方を保存継承・発展に努め、地域活性化と青少年健全育成に寄与することを目的に活動をしています。平成6年結成。
公民館名 那覇市石嶺公民館
サークル名 石嶺町伝統エイサー会
代表者名 佐久川正次
活動人員 100名
設立年月日 平成25年
活動日・時間日日・19:00~21:00、木・20:00~21:00(石嶺小学校グラウンド)
※12月~3月お休み期間
サークルの活動内容を教えてください。
石嶺町内に伝わるエイサーの型を保存継承し、発展に努めること、そして地域活性化と青少年の健全育成に寄与することを目的に20年前に設立されました。活動で習得した成果を「王朝まつり首里」や「那覇まつり民族芸能パレード」、「那覇マラソン」の応援や地域行事、福祉施設の慰問等の場で披露しています。
石嶺町で踊られて130年余りになる石嶺エイサー。昭和10年生~20年生が最盛期です。男踊りなので、昔は女性、子どもは踊れなかったんです。エイサーには、『太鼓エイサー』と『手踊りエイサー』の2種類の踊り方があって、石嶺は手踊りの念仏踊りです。男踊りのみで、空手の型が基本になっています。先祖供養のためにお墓の前で踊るエイサーです。女踊りがあるエイサーというのは『毛遊びエイサー』ですね。園田や読谷のエイサーなどは『毛遊びエイサー』の名残があり、花笠をかぶって衣装も華やかです。石嶺は、空手着を基本とした衣装で、全身白に紫のサージとウッチャキ(上掛)のみ。昔は着物(農民の普段着)に襷が基本で、白や黒は、お坊さんの恰好と同じで、『念仏エイサー』なのでそういった色が衣装に残っています。修行僧の恰好で踊ったのが元になっていると言いますよ。
<青年会から伝統エイサー会へ>
『石嶺町伝統エイサー会』の名では、平成6年から活動しています。それまでは石嶺町の青年会がエイサーを踊っていました。ちょくちょく途切れてしまう状況が続いていて、『石嶺町伝統エイサー会』を起ち上げる前は10数年途絶えていました。それではいけないということで、改名をして、「エイサー=青年会」ではなく、子どもから大人まで参加できるような形で会を発足させました。現在も『男踊り』ではあるけれども、性別の制限はないです。
現在、総勢100名くらいです。踊り手は60名くらい。出番によりますが、その都度集まれるメンバーで練習しています。
石嶺の発祥の地は6班(現在の4丁目。5号線沿いサンエー石嶺食品館のあたり)。1~6班
までの青年会が集まって踊りは踊っていたんですが、道じゅねーは6班の区域のみだけでした。他の班で誰か亡くなった方がいたら、供養のためにその家の庭で踊ったりということはあったそうです。石嶺全体で練り歩くようになったのは平成6年からですね。
昔の先輩方は世帯数が少なかったので、各家々に行きお庭で朝まで練り歩いたと言いますよ。今は健全育成で22時くらいまでには終わるようになっています。石嶺もそうですが、例えば、大里の大城地区のエイサーも、同じ曲で踊り続けるのが特徴です。曲は何曲かあるんですが、振り付けは一緒なんです。一つの振り付けでいくつかの曲にのせて延々と踊り続けます。
サークルの魅力は?
自分のエイサーの魅力を自分ではよくわからないけれど、何十年後に帰ってきても同じ踊りを踊ることができる、参加できることは良いところだと思いますね。どんな小さな舞台でも、地謡(じかた)でやるようにしています。必ず生で踊るんです。
サークルの雰囲気をお教え下さい
出演数は年間15回くらい。月一くらいのペースで出演している。『那覇まつり』『首里エイサーまつり』『首里王朝まつり』『那覇マラソン』の応援や福祉施設への慰問などでも踊っています。踊る場所によってフォーメーションを作り替えたりなどして、練習しています。また、3年前くらいに韓国(ソウル)に招待されたこともありますよ。知り合いに韓国在住の人がいて、その伝手で伝統エイサーを踊ってほしいという依頼があり、平和の祭典のようなものに招待され、少人数ではあったんですがエイサーを踊りに行きました。
人数に制限はしていないです。毎回全員出演するわけではないんですが、予備軍がたくさんいる状態ですね。今は男の子より女の子の方が積極的ですよ。メンバーの半分以上は女の子です。お母さんたちも積極的に踊りに参加している人が多いですし。お父さんは地元の人以外だと見学する人が多いですかね。
サークルの参加メンバーはどのような年代が多いですか
2歳~80代です。2~3歳の子どももいますよ。小学生の間は保護者同伴です。中学生以上は保護者の承諾書が必要になります。登録されているので一番上は80歳くらいですかね。子どもから大人まで老若男女問わず参加できるんです。
地謡のメンバーは30代~60代です。一番上は昭和24年生(67歳)。現会長は34歳です。
エイサー会の子たちは、小さいけれどエイサー歴が長いんですよ。例えば、2歳~3歳から
始めたら、20代でも17~18年やっていることになりますから。私の娘は今年30歳で10歳から始めたので、エイサー歴20年になります。
サークル参加メンバーの地域はどちらですか(公民館付近か)
基本は石嶺地区の人が参加していますが、他所からも来ていますよ。那覇市内、首里中地区、与那原や浦添の方もいます。
大家族のような付き合いで活動をしています。親子のコミュニケーションを目的に参加する人もいます。web情報や口コミなどで興味を持って参加する人も多いです。小学校でエイサー指導をしているので、その継続で入会する子どもたちもいます。
メンバーとはサークル外での交流もありますか?
<いつでも戻って来れる家のような場所>
交流の場として、中学・高校の入学時期には入学パーティーや夏のバーベキューなどを開いています。その時にはおじいちゃんやおばあちゃんも参加してくださり、盛り上がります。
中学高校になると部活などもあり忙しくなるので、参加が難しくなる子も多いんですが、中には両立して続ける子もいます。ただ、どれだけブランクがあったとしても、いつ戻ってきても受け入れる体制はとっています。いつ帰ってきても、同じ踊りが踊れるのが石嶺エイサーの良さなので。久しぶりに帰ってきても我が家のような感覚で戻って来ることができるんです。30代で戻ってきても、役割はたくさんありますからね。
<子どもたちの成長>
伝統エイサーを途絶えさえたくないという思いと、親子の交流を深めるためにエイサー会を立ち上げて、とても変わったことは、子どもの成長です。明らかに違う。中学校で受験前の子どもたちというのは不安定になりがちなんですが、親子との交流がちゃんとできていると、そういう時でもサポートしやすいんです。子どもたちを受け入れ初めの頃は、エイサー会に子どもを預けっぱなしという状態も結構ありました。午後8時~9時の練習の間、親は子どもたちを預けて不在で、練習後も迎えに来るのも遅くなる、ということも少なくありませんでした。そういう状態では良くないと思い、子どもが入会する場合は取り決めを厳しくしました。小学生は練習も親同伴、中学生以上は親の同意書が必要。また、迎えに来れない場合は、誰かメンバー同士で調整し合って送迎をするように連絡を取り合うようにしてもらっています。
親がきちんとサポートすることで、例えば親子げんかをしたとき、子どもが家出をした場合も、探しやすいんです。だいたいメンバーの中の誰かの家にいることが多くて、連絡も取りやすいのでフォローしやすい。親から相談にきたときも、場合によっては子どもたちに連絡をとって、子どもたち同士でフォローし合うようなこともできるようになっています。
家族単位ではなく、地域、メンバー全体で見守る体制がつくれるようになっているので、その辺はとても変わったことです。信頼を築くことができていて、みんなで助け合っています。
そういうところは成功面だと思っています。生活していても、何かあっても逃げ場があるというのは大切なことだと思います。親とけんかをして家に帰ってなくてもエイサー練習には来ている、という笑い話もあります。家族のような関係性です。
今後の活動について
<今後の展開>
とにかく継続していくこと。変わらずに。
私は4代目でした。初代からサポートはしています。曲をオリジナルで提供しているので、ずっと関わっていくつもりです。現在の会長は7代目です。会長は若い世代(30代)が担うように交代しています。
近いところでは公民館まつりが控えているので、その練習に励んでいます。エイサー会をとにかく変わらずずっと継続していくことが目標です。
取材者名 佐久川正次(総括指導、元会長)
活動歴 10年目
サークルに参加したきっかけをお教えください
平成17年頃、那覇市で『子どもの居場所づくり事業』というのがあって、その時に目指したもので親子の顔が見える場所づくりを行いました。当時、子どもとうまく対応できない、というお父さんお母さんたちが結構いて、エイサーを通してコミュニケーションが取れる機会をつくったんです。それで、仕事後にも親子で参加できるように練習時間を遅くに設定しています。以前は単身の人が多かったんですが、現在は家族で参加している人たちが増えています。家族数は現在20組くらい。子どもがエイサーを踊って、親がサポーターになるケースが多いです。中には、子どもたちが踊ってるのを見て、自分も踊りたくなって練習に加わる方もいますよ。
平成10年から石嶺小学校で授業の一環としてエイサーの指導をしています。運動会向けに6月頃は石嶺小学校の生徒はエイサーの練習をするので、卒業生はみんなエイサーが踊れるんです。曲は7 曲あり、振り付けもずっと変わらないです。4曲は伝統的な曲そのままで、3曲は私のオリジナル曲です。
平成20年度と今年度(平成27年度)、公民館との連携で『エイサー教室』も実施し、普及活動にも取り組んでいます。
普段は建築関係の仕事をしているが(若いときは大工さん)、社長(OB)の理解もあり、エイサーに携わることができています。エイサーの指導なども踏まえて、仕事をさせてもらっているので、ありがたいです。
三線奏者でもあります。オリジナルの三線作りもしていますよ。初めて三線を製作したのは40年前くらい前です。三線を習い始めて、そのときに初めて自分で三線を一調つくりました。2012年に沖縄タイムス(2012年2月17日沖縄タイムス記事掲載)で紹介された竜の三線は、公民館まつりのオープニングで弾いているものです。
サークルを続けている理由/たのしいところをお教えください
<継続の秘訣>
一生懸命勧誘すること。一生懸命教えて輪を広めていくこと。楽しくやれば集まってくると思うんです。文化発信にもつながると思っています。青年会だと取り決めが厳しく諦めてしまうことも少なくないので、石嶺町伝統エイサー会では、楽しくエイサーをするということを第一にしています。
<生活にあわせて変化も必要>
昔は朝方まで道じゅねーをしていたんですが、今は午後10時には終わるようにしています。現代の生活状況に合わせて、残せる文化と変化させなければいけないところは変えていきながら、柔軟にメンバーも地域も楽しく継続していくことが大切だと思います。
<子どもたちの顔が見える>
平成10年くらいから中学高校の指導員をしていて、子どもたちに顔を覚えてもらえているので、道で会ったら子どもたちに声をかけてもらえるんですよ。顔見知りだと指導もしやすいし、どんなに悪びれていても声をかけるとちゃんと言うことを聞いてくれる。そういった面ではありがたいですね。
サークルでの目標やモットーにしていること
子どもを預けっぱなしにしないように、親に意識してもらうためにも、年会費をもらっているんです。年会費は300円(保険料)です。それ以外の出演したときに出す飲み物食べ物などは運営費から捻出していて、旧盆の道じゅねーで集まる寄付で賄われていいます。
予算のかからない範囲内であれば、地域のイベントやボランティアはどこでも参加していますよ。若い子たちの中には、エイサー大会などにも出演してみたいという子もいます。那覇市の『清明祭』や『1 万人エイサー』も最初の頃は出場していた時期もあったんですが、出場料が出てくるようになってからは出ていません。大会で良い成績を出せれば自分たちの自信にもつながるとは思んですけれども、そういった大会では出場料が発生してしまう。特別予算を組んで、出場するという風にできればいいですが、あくまでエイサー会の目的は、健全育成と社会貢献。そこを忘れないように、メンバーにも話をしています。
公民館を利用して便利な所
公民館を利用することは良いことだらけですよ。天候に左右されずに、設備も整っているので、練習・運営に関してとてもやりやすいです。フォーメーションの変更がある場合、細かい指導をする際も、公民館だと天気に左右されずに思い切り練習できるのでありがたいです。また、エイサー教室など、公民館との連携で普及活動もできるので、エイサー会も公民館がサポートを必要とするときは120%で応えるようにしています。2月には『公民館まつり』もあるので、その準備・サポートに取り組んでいきます。
公民館を利用して改善してほしいところ。ここを良くしたらいいのにと思うところ。
(特になし)
取材日:2015年12月22日担当:平良亜弥