—後半、3〜4名のグループに分かれて自己紹介をした後、「自分たちのまちにある公民館的な場」、「自分が出来ること、必要だと思う資源」について話し合ってもらいました。(勉強会『みんなでkangaeru公民館のこと』VOL.1はこちら➝)
グループワークで出た意見
宮城:最初のグループはくもじ・にじいろ館を想定したお話でした。公民館的な場所として、最初は居酒屋とか、友だちの家だとかそういうところをイメージしたけれど、限定的だなと。もっと開いている場所ということを考えていく、時間帯でいろんな年齢の方が来る、ひとつの場所にいろんな人がいて、ただ同じことを共有して様々な世代、年齢の方がいる場所ってどんな場所なんだろうと思ったら、このくもじ・にじいろ館などの公共の施設が浮かんだ。地域の人が趣味を発表したら地域の子どもが来る。まさにいろんな世代の方が繋がれる場所なのかなと思った。でも、その建物の中で起こってることは見えない、その見えないことを伝えるためには相当労力がいる。外でやったら、それを見た歩いている人が楽しそうだなと楽しさを伝える。くもじ・にじいろ館の広場をどんどん活用したらどうか、その魅力を伝えながら自分たちも楽しくしていきたいというような感じだったと思います。くもじ・にじいろ館の縁側会として、イベントなどをやってみたい。今日は公園管理課の方も、くもじ・にじいろ館の館長さんもいらっしゃるので、すぐ実現出来るかなという風に期待しております。
そしてりうぼうのフードコートが多世代の集う場所になっているという話がありました。私たちが言う公民館と、先ほどの牧野先生の事例もふまえて考える「公民館的なもの」は、おそらく相当違うと思うんですね。他にはカフェ、10名程度と少人数だけれどもそこでいろんな交流が生まれてくる、いろんな世代が繋がっていてそこで得た情報を持って、講座なども開いたりしている。そのカフェを中心に地域が繋がって、コミュニティが生まれているというような話。
他のグループでもいろんな面白い話が出たと思うんですけど時間的に難しいと思うので、 ここまでで。それで話し合ったこと、また終わった後に 共有していただきたいと思います。
牧野先生にこれまでの話をふまえて、公民館的な場、それをどうつくっていくのか、それぞれがどう関わっていけるか、感想などありましたらお願いします。
牧野先生のお話
ある地域で、居酒屋公民館をやっているところがあるのです。住民それぞれが、お酒とつまみ一品を持ってきて、公民館に、みんな決まった時間に集まってきて、飲みながらまちや地域のことを議論したり、世間話に花を咲かせるのです。「うちの兄ちゃん、どこどこの学校行くんだけど」とか、「子どもが3人いて、みんな塾にいってて、それぞれ違う時間に迎えに行かなきゃいけないから、他の子の面倒をどうしよう」とかお母さんたちが言い始めると、「だったら、俺がみててやるから連れてこいよ」みたいな声が出はじめるのです 。そうすると飲み会が始まる前の時間は、居酒屋公民館が学童保育みたいになったりする。そうやって使われているところもあるのです。地域の中で、他人事が自分事になっていくことで、いろいろな問題をみんなで一緒になって解決していこうというような動きが出てくる地域がかなりあります。
多世代とたまごのお話
東京近郊には限界団地と呼ばれているところがいっぱいあります。住民の五割くらいが高齢者だというところがいっぱいあるのです。そういう所に入って、住民の方々と話をしていると、「施設に入らないでずっとここで過ごしたい」とか、「綺麗に老いたい」とか、「老いるっていうと、なんかみすぼらしくなっちゃう感じがして嫌だ」、それで「ちょっとお化粧をして、服を着替えて、背筋伸ばして行ける場所が欲しい」とか、いろいろな話が出てくるのです。
そこで、“生きがい”を真ん中において、様々な資源を活用して高齢者が活躍できる、毎日いきいき過ごせるまちをつくりませんか?という話をすると、「ありがたい」といいつつも、「あんたたち若い世代が、われわれ高齢者の面倒を見るという立場からつくったんじゃないか」「75歳くらいだと元気だ。金もないことはない。時間はたっぷりある。」という話が出てくるのです。そして、ないものは“生きがい”だと。寂しいのだと言うのです。そして、さらにこういう話が出てきます。自分たちの孫世代が、親が共稼ぎで家にほとんどいなくて、学校から帰ってきても家に誰もいない。孫世代が何か寂しそうに見える、と。「寂しいジジババと寂しい孫が一緒になったら楽しいんじゃないか?」「沢山のジジババとたくさんの孫で交わったら面白いんじゃないか?」という話になったわけです。「他人の孫だから他孫(たまご)、多い孫で多孫(たまご)」「なんか守ってやらなきゃいけない感じがするから“たまご”っていいよね!」とか盛り上がるのです。
そこで、できてきたのが「地縁のたまごプロジェクト」という、多世代交流型コミュニティの形成事業なのです。
自分たちは、全国から集まってきて、ここに40年も住んでる。自分たちが田舎にいた頃は鎮守の森があって、鎮守の森の境内でみんな遊んで大きくなった。「じゃあ、今度はおれたちが鎮守の森になって、子どもたちを守ってやろうよ。」と、いう話になった。そうしたら誰かが「やっぱりだったら境内が欲しいよね。」って言うのです。それでこの地域全体を境内とみなして、そこの核になるものをつくったらどうですか?という問いかけをして、その中から出てきたのがコミュニティーカフェという考え方なのです。
そういう場所をみんなで経営して、子どもが遊びに来たり、地域の方が交流する場を作ったらどうですか?と提案しました。そのために、実行委員会を作って、大学も入って一緒に取り組んできました。場所を借りて、自分たちで内装もキレイにして、住民が集うようになった。農家の方が朝市をしたり、地域の交流拠点をつくって、子どもたちが遊びに来るようになってきている。出来て6年経ちますが、1日に120名ぐらいの方が来て、お茶を飲んだり、様々なサークル活動をしたり、子どもたちとの交流を楽しんだりしています。
集団登校の子どもたちは朝、「おはよう!」とここに寄ってから学校に行く。登校途中で、おじいちゃんばあちゃんが交通安全の辻立ちをしている。校門で待っていて「おはよう!」と声をかけてくれる。さらに、一部のおばあちゃんが学校の中までついていって、読書指導を一緒にやっている。わからんボランティアとして、授業に参加しちゃう人まで出てくるようになる。授業に参加して、子どもに「あんたよくわかるね、全然わからんのだけど教えて」とかいって、教えてもらう役の人がいるのです。そうすると、子どもは一生懸命教えてくれるので、そのほうが子どもの理解の定着が良くなるってことで、先生も喜んでいる。おばあちゃんに「ほんとはわからんふりをしてるんでしょ?」って聞いたら「本当にわからない」と。それがいいんですよね。給食も一緒に食べて、慣れてくると、先生を職員室に返してしまう。そして農家や鉄工場のオヤジを連れてきて、食育を始めるたりする。掃除も一緒にやって、おじいちゃんが「四角い角を丸く掃くな!」と叱りながら、子どもがなんとかちゃんと掃けるようになるということがおこっています。
帰りには、子どもたちはこのカフェに「ただいまー」と帰ってきて、宿題見てもらったり、お菓子食べたりしながら遊んだりして、児童館みたいに使っています。6時ぐらいに親が迎えに来て一緒に帰るのです。
また、しょっちゅう子どもたちを地域で連れて回っては、大事にしているということを発信しています。すると「ここの地域は子どもに優しい!」という評判がたって、子育て世代の方が何度も、見に来て、自分も活動に参加して「ここで子ども育てたい!」といって引っ越してきたりしている。
この地域の高齢者はいま、多世代さんとも呼ばれていて、「多世代」と「たまご」をキーワードに、まちをつくっているという感じです。
ここはコミュニティー・カフェなのですが、公民館的なものとして使われていると考えていいのではないかと思います。
人が集まってくると「あれやりたいこれやりたい」とか、ニーズが出てきますよね。集まっていないと、出てこないはずなのです。ニーズって、基本的には個人のものではなくて、関係から生まれてくるものだと思います。
「お腹減ったからご飯食べたい」ってニーズは、生理的な欲求としてはありますけども、どんなご飯食べるのかっていうと、いかがでしょう?
ひとりで毎日ご飯食べないといけないと仮定したとき、皆さんは、どんなものを食べるのでしょうか、いかがです? 多分どんどん簡単なものになってしまって、お腹が膨れれば、いいやって、いうことになるのだと思います。けれども彼氏や彼女が一緒にご飯食べるとか、孫が来ることになると、「孫のためにちょっといいモノ食べよう!」とか、ほんとはお金がなくても、少し奮発したりするのではないでしょうか。そういった形でニーズは出てくるのです。そうしたものがきちんとしていると、地域の経済にも影響があるし、人間関係をつくるにも新しいものが生まれてくると思います。
自己肯定感と学力
今、子どもの学力が問題になっています。貧困問題と学力問題には関係があって、貧困家庭の子どものほうが学力が低いと統計的にはわかっています。しかも、貧困は学校教育を通して世代間で連鎖すると言われている。貧困家庭は子どもに高い教育を与えられないので、子ども達がまた貧困になってしまって、またその孫が...と連鎖すると言われるのです。
これまでは、お金がないので塾に行けないとか、学歴を高められないと言われていたのですが、最近ちょっと違うという議論が出始めているのです。迂回路があると言われています。
非認知能力というのですけども、自己肯定感、「認められている」「僕は大丈夫だ」と思えるといったこと、共感力や自立心、頑張ろうとする気持ち、やる気のようなものが学力には深く関わっていて、そういったものが実は学力にすごく影響があるのだということが分かってきています。
なぜ貧困家庭の子どものほうが学力が低いのかというと、お父さんお母さんたちの自己肯定感が低くなってしまっていて「家がこんな苦しいのは私が悪いからだ」と思い込んでしまうと、子どもとの間でいい関係をつくれなくなってしまって、子どもにも否定的な言葉をあびせてしまう。すると、子どもの肯定感が下がっていってしまうと言われている。
また、文科省の調べでもわかっているのですが、生活リズムがしっかりしていない子どものほうが学力が低いと言われています。
広島県の廿日市市では、貧困の子たちが朝食を食べて来ないので、希望者に朝、給食を出しはじめた。しかし、心配されていることがあります。全国の子ども食堂でも同じ問題が起こっていますが、子ども食堂でご飯食べている子は貧乏人の子どもだと言われて、その子たちは来られなくなってしまうのです。廿日市市では、福祉的な措置ではなくて、教育的観点から朝食を提供しているということで、教育委員会では、「朝ご飯を食べている子のほうが学力が高いのだ」という理由をつけています。
しかしさらに、そこにはもう一枚裏があって、親と一緒にご飯を食べて、肯定的な関係で「頑張っておいで」とか「僕は大丈夫だから」といった関係があって、ちゃんと学校に来て生活リズムを刻んでいる子のほうが学力が高いとわかってきているということなのです。
また自己肯定感が低い子は虫歯が多いと言われている。お父さんお母さんとの関係の中で「頑張ったね」「すごいね」とか言われながら、のせられてやってきた、そういうことがあることによって、歯磨きが習慣化されて、虫歯になりにくくなるのですけれども、それがない関係で育った子たちは、その習慣が身についていなくて、結果的に虫歯が多いと言われているのです。また、虫歯の多い子は口腔ケアが出来ず、体調を壊して、風邪を引きやすかったり、胃腸がおかしくなって、けだるくなってくるので余計やる気が起こらなくなって、勉強しなくなるのではないか。
虫歯が多い子は学力が低いこともわかっているんですね 。自己肯定感が低い子たちは、社会に対しても積極的になれず、社会を恨む子が多いという報告もあります。
子どもを認める関係をつくってあげることが重要なのです。もしも家庭でうまくそれができないのであれば、地域で出来るのではないか? ということで学生を派遣して 、コンビニやファミレスで、親子で朝ご飯を食べる会をやりながら、ちょっと勉強をみてやって学校に行こうねとかですね、そういう活動をやろうかって話もしています。地域でご飯を食べる会をやって、みんなで勉強見てやって「大丈夫だよ」っていう関係をつくりながら、繋がりをつくっていけばいい。そうすると、その子たちが、貧困を抜け出す力をつけてくるのではないかということなのです。
この社会を次の世代につなげていくために、次の世代がちゃんと生きる力をつけていくこと、失敗しても大丈夫って言ってくれる関係の中で、もう一度頑張ってみようと思えるということが大事なのではないかと思うのです。
学校でも、単に知識を教えるだけではダメで、『先生が子どもと肯定関係を作る事が出来ないと、子どもの学力は上がらない』といったことが分かってきた。これは学校の中での調査なのですが、地域でもそういう関係をつくり上げることが子どもの将来にとって必要なのではないかということなのです。多世代で交流して、公民館も核になって、お互いに支え合っていくような関係を地域でつくることは、これからの社会を変えていくことにつながるのではないかということです。
パーラー公民館やチームまちなかの活動は、そういう社会のさきがけなのではないかと思います。皆さんいろいろ教えていただきまして、どうもありがとうございました。
みんなでkangaeru公民館のこと
2017年12月26日
会場:くもじ・にじいろ館
ゲスト:牧野篤(東京大学大学院教育学研究科 教授)
パーラー公民館
企画・主催:NPO法人地域サポートわかさ
設計・監修:小山田徹/制作:High Times うえのいだ
支援:沖縄県、公益財団法人沖縄県文化振興会
「平成30年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業」