対談 公民館の明日を考える。〜臨床の現場の取り組みに学ぶ
臨床の現場で活動されている上原耕生さん、西川勝さんをゲストにお迎えしての対談後編。「つどう・まなぶ・むすぶ」をキーワードにお話していただきました。
考え続ける中で「あした」がある。
西川:トップダウンの組織の改革ってやりやすいですが、院長先生の考えを全てのスタッフが理解しているわけではないでしょ。看護師、作業療法士、薬剤師だとか、様々な人が精神科にはいるでしょ。美術家である上原さんが医療の現場に入ってきたときに、どんなことが起きて、職員との関係というのはどういう風につくっていったのか、ということをお伺いしたいです。
上原:病院ってトップダウンで、ヒエラルキーがすごいしっかりしている。医者が言うことに沿って看護師さんや作業療法士は進めていく、というのが普通だと思うんです。その中でぼくも立ち場的に難しいところはあって、やりたいことが必ずしもできるわけではない。ここまで来るのに、何年もかかってます。最初の2年間は現場に慣れる、それだけの時間でしたね。それに、ぼくが入る前10年前から馴らしの期間があったんです。なので、今日明日、すぐ始めようっていうものでは、なかなかうまくいかないと思います。
西川:そうですよね。今日の対談のテーマは「公民館のあしたを考える」なんですが、「あしたを考える」ときに、今日、昨日のことを抜きには絶対考えられない。今日は、昨日の明日。考え続ける連続の中でしか、明日ってないんですよね。2001年から始まって、最初の2年間はどんな風にされてたんかなぁって、ぼくなんかすごい興味津々なんですけど。
上原:アトリエホロスでは、メンバーさんと一緒に普通に絵を描いたり、版画を彫ったりしていました。そこではスタッフも白衣を着てないんですね。一緒にお茶飲んだり、造形活動をしている。ただ、刃物などは慎重に扱っています。鈍器も刃物も、デリケートに管理している。ぼくらが美大で普通にやってることが禁止されている。あぁ、こういう環境なんだなっていうのを、肌で感じながら学んだという感じですね。
アートフェスタで変化したこと
西川:入院中の患者さんたちが外に出て行ったりしたときに、どんな変化があったのか。患者さんも地域の人たちも、それから一緒に働いていた同僚なんかにも、どんな変化があったのかなというのを知りたいです。
上原:そうですね。最初は開くことに対して、賛否両論ありました。患者さんを守るんだっていう看護師さんたちからの声だったり、あるいは患者さんも長年いると外の人が入ってくるとちょっと恐かったりとか。地域の人たちも袋田病院っていう烙印があるわけですね、イメージが。でも、フェスタみたいな日があると、患者さんも緊張感からかちゃんとしたりするんですね。毎日だと大変だと思うんですけど。
看護師さんたちも心配してたけど、普通に子どもたちと一緒にご飯食べたり、会場の中で歩き回っている様子を見て安心していく。最初は来る人も少なかったし、接触する人たちもほんとに一部だった。でも、関わる人たちが増えてきて、来る人たちも「袋田病院って昔のイメージと変わったよね」って地元で、家族で話してたりとか。風の通しの流れというか、少しずつ変わってきたなっていうのはありましたね。
西川:もうひとつ、地域の人たちにとって、精神科病院って一生縁がないと思ってるけど、みんなが一生縁がない人だったら精神科病院ってこの世に存在しないはず。けど、実際に実在する。生活の中で心を病んでですね、一旦病院に入院してって必要な時期があるんですよね。ただ、そこで専門家や当事者以外は全くみえないのが問題。旧病棟の隔離室にある傷痕をみれるっていうのは、余裕の表れでもあるわけですよね。余裕がなかったら隠すしかないですから。ああいうことを包み隠さずに、でも露悪的にやるわけではなくて、みるものとして一定の距離を持ちながらみせていくというか、みる人を誘い込むっていうやり方でね。いろんなことを考えて地域の中にある精神科病院っていうものの在りようが変わるっていうことは、地域の人たちにとってもすごい良いことだなということは思いますね。
違う見方で表現を受け止められる可能性
上原:精神科病院って、外から見ても中から見ても、すごく側面的だと思います。日本の精神科病院の歴史はこうだったと明言しているわけではなくて、いろんなことがあるわけですよ。誇らしい側面、隠したい側面。アートというツールがあることで、ただ白黒みせるわけではなくて、もっと抽象的なグラデーションのあるみえ方ができる。
西川:なるほどね。患者さんとされている人が、単に患者ではなくて、一人の人間で心の中に沸き上がるものや人に伝えたい想いがある人として見えてきたりするのは、相手の表現を受け止めた人がいるからなんですよね。
ぼくの思い出ですけど、金塊が貨車に乗せられて届くという人がいて、その金塊をどうやって分けるかということを番付してた人がいたんです。ノートは月に1冊だけ買えるんですよ。鉛筆は、1本買って詰め所預かり。先とんがってるからね。使うときは、詰め所の前のテーブルでしか使えないんです。50床くらいあったんで患者が50人、看護人が20人くらいいて、70人くらいの番付表をつけてるんですよ。毎日書いてますから、毎日番付は変わります。病棟記録みたいなものを20年30年ってやり続けてるのは、圧倒的な迫力ある。今考えてみると、それは彼が必死になってやった一代物語で表現活動。それをね、看護記録には「相変わらず常同的に書き物を続ける」みたいにね、病状として記録するだけなんですよ。残念ながら病院の外に出ることはなかった。でも、違う見方で彼の表現を受け止められた途端に、誇大妄想に凝り固まった患者というところからジャンプするかもしれない。上原さんがされてたような仕掛けがあったら、誰かとのコミュニケーション、看護師や精神科医とは違うコミュニケーションがその人との間に生まれて、何か新しいモノがうまれたかもしれないな、みたいなことをね、すごく思いました。
「つどう」ということの意味
西川:「つどう」って言ったときに、何か同じ目的、同じ能力、よく似た者同士が集るっていうのは、社会の中で山ほどありますよね。それってね、違うことをしたらそこから排除されるっていうことです。それが本当の意味での「つどう」ということになるんだろうか、新しいモノをうむんだろうかと考えるわけですよ。こういう全く異なる人の出会いみたいなものを、ハラハラしながらも見守るっていうような余裕がみんなにないと、本当の意味での「つどう」というのはできない。同じ者同士だったら学ぶことないです。競い合うだけです。でも、現代美術家と精神科医が一緒に仕事したとしたら、これ、競争にならないです。相手から学ぶか無視するかです。異なる者が集うときにこそ、学ぶ機会って生まれるんじゃないかと思うんですけど、例えば精神科医療で何か学んだものみたいなのはありますか?
上原:たくさんあります。美大では教えてないことを学んでいます。ここ最近興味持ってることなんですけど、メルセデスベンツって有名な会社がドイツにありますけど、そこは車を開発するチームをつくるときに、哲学者とかアーティスト、心理学者を入れるらしいんですよ。車っていうのは、動いてただ移動するだけじゃなくて、将来は自動運転化して、睡眠の場所になるだろうし、人と過ごす空間になる、家のようになるかもしれない。いかに技術を使っていくのかということではなくて、車の定義そのものが変わっていくと。異分野の人の角度の違う視点や発想を入れることで、科学反応が起きる。それを大企業が戦略的にやっている。それは面白いなと。
病院の中で会話のコミュニケーションスキルを上げるために、SSTっていうのを取り入れているんですけど。これって、SSTで人見知りをどうやって治すかっていう視点なんですよね。とても良いプログラムだと思います。でも、パイプを使って向こう側の人たちと会話をする仕組みって、遊びを通すことによって訓練という意識がなくなる。遠くにいるから、そこまで恥ずかしくないから普通にコミュニケーションが取れる。そういう仕掛けは面白いなと思っています。どれだけ運動しなさいって言ってもしなかった患者さんが、スタンプラリーをしたら、あれだけ広い会場の中を何往復もするんですよ、スタンプ集めて。ゲームだったり、遊びのスパイスを入れていくというのは、医療の現場では全然違うんじゃないかなっていうのは思います。
「むすぶ」の本当の意味を考える
西川:最後にね、「むすぶ」って何なんでしょうね。手をつなぐだけじゃダメなんだろうか。連携するっていう意味じゃなくて。どう思います?
上原:医療の現場にはヒエラルキーがある。そういう制度の中で一日の活動も決まっていく。これは病院にいる以上は、絶対的。病院にいる以上、この関係はフィックスされているものだと思いこんでいたんだけれども、全然違う。
そこでは患者さんの方が職員よりギターがうまくて、格好良かったりするわけですよ。アートフェスタの中では、一般の人も職員も患者さんも、そういう肩書きとか役職とか、関係なくなる。「むすぶ」で言うと、固定化された関係性が、これを機に更にもう一つの関係性が結ばれるっていうのは面白いなとぼくは思っています。
西川:なるほどね。医療にしても福祉にしても、いろんなところで“多職種連携”がキーワードなんですね。医療でも医療に関わる様々な職種で連携をとる。そうでないと一人の人の生活を再建するということは難しい、というのが最近の常識になってるんです。そういう意味では、ネットワークをつくるっていうことがよく言われています。でも、それは、命令系統で繋がってるんです。連携と言っても、自分の立場から話をしてるだけで、いとも簡単に切れちゃうんですよね。繋がりようによっては、下位に置かれた人はずっと下のまんまで、上から下に下ろすだけみたいなね。“おむすび”って、米を繋いでるわけじゃなくて、ごはんを結んでるんですね。結んだらおむすびになる。おむすびのご飯の粒々って、上も下もないですよね。そういうようなカタチであるかどうか。紐の結び目これどっちの紐やって言えないですよね。結び目がもっと多様になれば、編み物になる。糸やったものが羽織るものになったり、包むものになるような、違う力をつけることができる。それも、たった1本ではできないです。何か結び合っていくっていうような、糸という姿だけに終わらないで、自分の姿を変えていけるということ。人の出会いの中で。別の糸との出会いの中で。結び合って、編み合わさって、編み物になる。ぼくは「むすぶ」ということで、そんなイメージしましたね。これを、糸ではなくって、人との出会いで考えてみたときに、「つどう」だとか「まなぶ」だとか、それがさらに「むすび」あうような関係になる場ってね、舞台みたいな感じじゃないですか。上にいる人の動きひとつで場の意味が変わる。単純に人を排除したカタチでのシステム、物理的な環境ではなしに、その人たちがどう動くのか、集ったり学んだり、そして結んだりっていうことを、どれだけ自由に軽やかに次々と人と触れ合ったりする中で、開いていくのか。ぼくは精神医療の中で袋田病院が、上原さんが触媒になってされたことのイメージに繋がっていくような気がするんです。勝手なことばっか言いましたが。
上原:ありがとうございます。
西川:聞き手というのをはっきり裏切りまして、たくさんしゃばらせてもらいました。ありがとうございました。
2020年1月18日
対談:公民館のあしたを考える。〜臨床の現場の取り組みに学ぶ〜
上原耕生(うえはらこうお)
1982年沖縄生まれ。2010年東京芸術大学大学院先端芸術表現専攻修了。美術館やギャラリーといった既成の展示施設ではない団地の壁や、道路の高架下、廃校になった各地の小学校や商店街で制作や発表を行なっている。2011年より造形スタッフとして袋田病院アトリエホロスに勤務。年に一度精神科病棟を開放し、利用者や職員らと共に創るアートフェスタの企画運営(ディレクション)を行なっている。
西川勝(にしかわまさる)
1957年大阪市生まれ。看護師として働きながら哲学を志し、臨床哲学の活動に参加する。その後、大阪大学で特任教員として11年間、臨床コミュニケーションデザインの研究教育に携わる。現在は(公)認知症の人と家族の会大阪府で活動中。