指笛を沖縄文化のひとつととらえ、普及活動と指笛による演奏技術を高め演奏活動を展開しています。囃子として親しまれた指笛の音色は、多くのひとを励ますことができることから、チャリティ活動も活発に行っています。
公民館名 西原町中央公民館
サークル名 指笛王国おきなわ
代表者名 金城久江(きんじょうひさえ)
活動人員 25名
設立年月日 平成17年(2005年)
活動日・時間 第1・第3 土・14:00〜16:00
サークルの活動内容を教えてください。
<指笛王国おきなわとして建国(発足)>
平成17年7月10日に建国(設立)されました。国民は延べ270人ですが、継続してサークル活動に参加しているのは30人ほどです。月の第1、第3土曜日に14:00から2時間練習しています。初心者へは吹き方を指導。出来る人には音楽としての練習と二本立てでやっています。上手に音楽になるまで練習します。
<日本の指笛の歴史・田村大三>
指笛で音楽をするようになったのは、沖縄ではずいぶん遅いです。全国では田村さんという方が指笛音楽というのを立ち上げました。彼は小6のときに、秋田にいたのですが、呼び子のかわりに、指で合図をおくっているのをみていました。20才を過ぎて、指笛で音楽ができないかと努力して、音楽へと昇華させていったわけです。戦前のことです。指笛音楽は田村さんが演奏会をしてから今年で81年の歴史があります。その弟子たちがあつまり指笛楽友会を結成し、東京で毎年一度コンサートを開催しています。青森から沖縄まで。沖縄の会員は垣花さん一人です。
私たちはその指笛楽友会のことを知らずに、指笛の普及を目指して10年前に結成。指笛の日を制定しようと行動をおこし、7月10日に指笛の日を制定しました。制定にあたっては、9人の学識関係者で審議し、県庁の記者クラブで記者発表を行ったので、マスコミにも取り上げていただき、よいスタートでした。4月に準備会を結成したとき70名くらい参加者が集まりました。しかし、殆どが指笛の吹けない人。吹ける人はわずか10名くらいでした。そこで普及に力を入れました。
7月10日に建国して、憲法や役員、活動方針を発表しました。結成総会を開いて、第2部の「楽しい指笛の世界」(コンサート)に200人きました。継続して今年は11回目をやりました。2011年からは募金活動としていて、入場料を徴収して東日本大震災への復興支援に取り組んでいます。そのチャリティも6回目の開催です。
今は心臓病移植を望んでいる、のあちゃんのチャリティに取り組んでいます。
サークルの魅力は?
<元気が湧いてくる、指笛の響き>
指笛の魅力は「元気」ということだと思います。聞いた人たちが元気になります。指笛で元気を届けることができる。そして自分も元気になる指笛は沖縄の中では合図だったりして、生活の中にあるものでした。沖縄の人のDNAとしてしみ込んでいる。懐かしさや明るさ、元気が魅力だと思います。音色もうつくしいですよ。
沖縄の生活のなかでは、遠くまで届く合図ですよね。1,35 キロも届くんですよ。
夜間の合図に使われていたり、溺れている人を助ける合図になったという話もあります。緊急時の救助に指笛が活躍しています。宿泊研修でも指笛を取り入れてもらっています。道具や電気もいらない。体を使った楽器というのもいいですよ。そういうところが魅力です。
サークルの雰囲気をお教え下さい
<音楽を愛好する人が集う>
音楽をたのしみながら、切磋琢磨しています。私は初心者を大事にしたいです。吹けるようになってよろこんでいる姿はうれしいものです。チャリティ活動も頻繁におこなっています
黄色のポロシャツがユニホームです。
サークルの参加メンバーはどのような年代が多いですか
若い人で40代。参加者の中心年代は60代です。講習会に来るのは20名前後ですが、12〜13名が男性で8名が女性という比率です。すこしだけ男性が多いです。指笛はできるようになるのは個人差がおおきいですが、みなさん向上心があって、練習を重ねることで上達していきます。
サークル参加メンバーの地域はどちらですか(公民館付近か)
最初から西原町立公民館を拠点に活動しているので、西原で継続してやっています。メンバーの金城さん(音楽大臣)が西原在住ですので、西原に縁がありスタートしました。近くの地域のかたも数名います。
実は浦添などもあたりました。都市部はサークルが多くて空き時間がなかった。西原の公民館は会場にゆとりがあったんです。参加者は西原町の人だけではないです。西原、浦添、与那原、八重瀬町、遠くはコザと那覇、参加者は各地から集まっています。
メンバーとはサークル外での交流もありますか?
<程よい距離感を保って、遊びも本気に>
サークルのメンバーとはパークゴルフや忘新年会などの交流があります。今年の忘年会はボーリング大会からカラオケまでやりました。朝の10時から夜7時まで長時間ですが楽しかったです。
練習に来るだけではお互いを知りあう時間がありません。何をしている人かとか、どういう性格かとか、練習では知れないです。サークル以外の交流で深く親密になる、理解しあうことができます。
でも、その度合いは個人にまかせています。メンバー同志で個人的に親しくしている人もいれば、あえてお互いのことを聞かない人もいます。年齢もきかないとかね。距離感をむりして縮めることはないですから。自然体であればよいと思います。
今後の活動について
<福島での演奏など社会貢献活動に力をいれたい>
活動開始から10年たったので、社会貢献できることを増やしていきたいです。これまでも、東北のこと、のあちゃんのことに取り組んできました。指笛は元気を与えるので、みなさまに元気を届けたいです。指笛王国の憲法に「他の音楽団体との交流」というのがある。フォークバンドのつるひめさんとかと一緒に参加するように、ほか団体との交流もしていきたいです。
宮古八重山、伊江島など沖縄の離島をみんなでいってみたいという声もあります。
また福島への募金も6回やっているので、10回目には実際に福島をおとずれて、現地で指笛を吹いてみたいという声もあります。会員からはそのために年会費1000円を少し増やしてもいいのではないかという意見もでています。実現するために、積み立てなどのアイディアがでています。
取材者名 垣花譲二さん(国王)
活動歴 10年
サークルに参加したきっかけをお教えください
<沖縄の専売特許の指笛を普及したい>
指笛をインターネットで検索すると東京を中心とした田村さんのことばかりがでてきます。
それまで指笛といえば、沖縄と思っていました。甲子園の応援でも指笛がなるでしょ。沖縄県民にとっても、指笛は沖縄の専売特許のようなイメージをもっていました。実際は沖縄の指笛は衰退していました。そこで普及のために立ち上げたのが「指笛王国おきなわ」です。
サークルを続けている理由/たのしいところをお教えください
<人を楽しませることが、生き甲斐に>
サークルを続けている理由は責任感です。いいだしっぺということもあります。10年になったので国王の座をバトンタッチするタイミングをさぐっているところです。
代表者はなにかと忙しいですから、定年組がいいかなと思っています。
私は67歳ですから、いまは幸いにも時間があります。
小5くらいから指笛ができました。もちろん合図として、囃子としてやってきたのです。成人してからですが、ふるさとの宮古島でクイチャーを踊ったとき指笛を吹くことで、すごく盛り上げることができたんです。皆がこれはたまらないです。自分が盛り上げているということ。自分で吹ける喜びです。それと、教えて、音がでることを喜んでいる姿をみることがやり甲斐になっています。
サークルでの目標やモットーにしていること
<明るく、楽しく、元気よく!がモットー>
音がでない人が圧倒的に多いんですが、あきらめずに練習していけば、必ずできるようになります。希望をもって、あきらめないでということが、わたしたちが思っている座右の銘です。音がでるまで自分は何ヶ月かかったとか、それぞれの経験を語りながら、練習しています。
自分はできなくても、みんなの音をきいているだけで、たのしいですよとおっしゃるんですよ。出会いもあります、ふれあいもあります。たかが指笛だけど、家族のような繋がりがあります。明るく、楽しく、元気よく!ということがモットーです。
公民館を利用して便利な所
公民館は利用している仲間がいます。公民館まつりになると、舞台で発表するのをみたりきいたりして共有することができます。
地域におけるサークル活動の拠点として役割が大きいです。そのなかで感じることは、借りる時間が二時間ときまっていることに多少の不便を感じますが、実際には職員のかたと連携してイベント前とかは延長したりするのですが、融通をきかせていただいています。ありがたいです。臨機応変に対応いただいているので感謝です。
公民館を利用して改善してほしいところ。ここを良くしたらいいのにと思うところ。
希望の場所をとれるかが、少し不安定です。わたしたちにとってとても都合の好い場所がほかのサークルの動きで玉突き移動がある場合があります。これは施設の限界でしかたないことであると理解はしています。
取材日:2015 年12 月19 日担当:鳥越一枝