対談 宮城潤 × 須川咲子
公民館のあたらしいカタチ 

公設置公民館 市民型公民館

NPO法人前島アートセンターの理事で、那覇市若狭公民館の職員でもある宮城潤氏と、21紀型公民館を運営するhanareの須川咲子氏による、公民館談義。市民イニシアティブによるあたらしい公民館のカタチを模索する──

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宮城:hanare×Social Kitchenのウェブサイトには、「21世紀型公民館として機能することをめざす」とあります。私は那覇市若狭公民館に務めていることもあり、『hanare』の取組みにたいへん興味を持っています。公民館と言うようになったのはどのような経緯からでしょうか?

須川:地域によっては若者が集まり青年会を組織したり、お祭の準備をするために集まったりしていたと思いますが、私が育って来た地域にはそういう公民館がなかったです。生涯学習センター、女性センター、青少年活動センターのように、より特化した施設はありますが。なので、自分の経験として公民館がどういうものか分かりません。公民館がある地域で育った人は、高齢者の方々が集まっていたり、俳句やコーラスの練習をする「ダサイ」場所というイメージがあるかもしれないけど。自分たちで場所をつくるにあたって、なんとなく〈Social & Cultural Center〉というコンセプトがはじめ頭にありました。私が住んでた地域で、スクワット*1からの流れでできたような、音楽や芸術をやりながら、そのときどきの政治問題にちゃんとコミットする文化施設や、もうちょっと知的生産活動に特化している場所まで、割と多様なモデルがあるので、そういうものをイメージしていました。日本の中で、モデルになるものがないかと探していたときに、ふと「公民館ってなんやろ?」と思ったのがきっかけです。そこで、公民館を調べたら、社会教育基本法22条に公民館のめざすところが書かれていました。それを読んだときに「これや!」と思いましたね。

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那覇市若狭公民館と市立図書館。

宮城:公民館は大きく分けると、自治体が条例で定める公立の公民館と地域住民の共有財産として集会場などとして機能している自治公民館の二種類に分類されます。地域の特性によって、運営体制や在り方も異なるようです。社会教育法上で公民館が設置されたのは1949年ですが、沖縄の場合はちょっと事情が違って、その時は米軍統治下で日本の法律が適応されない。そこで琉球中央委員会議決によって1953年に公民館が設置されるように謳われ、GHQの高等弁務官資金によって自治公民館が次々とつくられていったそうです。でも、もともと戦前から集落には「むらやー」と呼ばれる集会場はあったようですが。

須川さんが公民館だ!と思ったのは、どういうところですか?

須川:周辺の人たちのためにあるというところと、公民館の「教育・学術・および文化に関する各種事業を行う」っていう曖昧でなんでもありなところ。法律には「住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする」って書いてあって、もうばっちりだと思いました。それから、企画者と参加者というヒエラルキーのなさも素敵だと思います。誰か1人がイベント屋になることなく、いろんな人がその人がやりたいアイデアを持ち合うフラットさがいい。実際Social Kitchenでも、大部分はhanare以外の人の主催になってます。

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若狭公民館で開催された「『平和学習』のあたらしいカタチ」。 6年前、沖縄国際大学に米軍ヘリが落ちた日と同じ、 8月13日に行われた。

宮城:公民館はよくメダカの学校に例えられます。誰が生徒か先生かわからない。互いに学び合う場として、答えを導きだす過程が重視されるし、フラットな感じも公民館の魅力ですよね。でも「なんでもあり」というところが落とし穴でもあって、結局なにをするところか見えづらい。中には問題意識をもって頑張っている職員もいるんだけど、幅広く何でもできる人って少ないから、苦労も多い。あと、公民館運営で難しいのは、曖昧な制限が設けられているところかな。宗教的なことや政治的なこと、営利的なことに制限がかかっています。Social Kitchenのようにカフェを営業したり、企業の支援につながるようなことはダメ。特定の政党や政治家を応援したり、批判することも無理。ちゃんと社会のことを考えようとしたら、政治的なことも関わって来ますよね。だけど自分たちで自主規制して、やれる範囲を小さくしてしまっているのが現状で、明確なメッセージを持たないことばかりが行われている気がします。市とか議会で叩かれないように、周りの様子をみながらバランスをとりながらやっているという感じです。

須川:いままでに実際につっこまれたことはあるんですか?

宮城:チャレンジングなことをして「大丈夫なの?」と心配されることはあるけれど、実際に何か言われたことはありません。みんなビクビクしてやらないだけなんだと思います。いまは怒られるんじゃないかと思うギリギリのことをしながら、ちょっとずつやれることの幅を広げる作業をしているところです。

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2009年8月の衆院選挙を前に選挙啓発のために行った講座 「Let’s go VOTE(票)!」。

Social Kitchenをこの場所でオープンする前はどういうことをしていたのですか?

須川:私がニューヨークから帰ってきた頃、京都でもいろんなつながりをつくりたいなと思っていました。いま住んでいる家は、母屋と離れがある家で、石田さんや高橋さんたちとなにかやりたいと相談していたときに、ここの離れで何かできるよねということになりました。そこでは、毎週月曜日にご飯をつくって出すということをはじめました。それが「喫茶はなれ」です。最初は友達が中心でしたが、年間も続けていると知らない人も来るようになり、だんだん広がってきました。告知は前日の日曜日に、「明日のメニューはこれです」とメールで送っていました。もちろん最初の1年は誰も来ない日もありましたが、徐々につながりも増えてきて、告知メールが40人になり、30人になり、最終的には300人を超えるようになりました。

宮城:そこを出て場所を持とうと思ったのはどうして?

須川:4年間続けてきたし、ちょうどそれぞれがフリーランスになったということがあります。去年、『グラフィティ・リサーチ・ラボ』*2というアーティストを呼んだときに、100万円ぐらいの予算規模なら、自分たちでプロジェクトができるんだという経験をしました。それも大きかったですね。私の個人的なことを言えば、自分の労働市場での立ち位置を考えたとき、すごく動き回らないといけないですよね。たとえば、仕事によって住む場所を変えないといけない、動き回ることでしか仕事が得られない。美術館や大学で雇用されても、非常勤である限り仕事を探し続けないといけません。ヨーロッパでもそうで、キュレーターとかオーガナイザー的な人は、すごいスピードで動かないといけないでしょ。そうすると日々をきちんと生きれないし、質素に生活できないことに矛盾を感じていました。2~3週間出張すると自分でご飯をつくれないし、ちゃんとしたところで買物もできない。そういう生活をしながら文化的なことをやる意味というのが、私にはあんまり分からないんです。移動し続けることが毎日の生活になったらすごいストレスですし、ちょっとずつ工夫を生み出すような生き方ができないと思いました。

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Social Kitchen 1階。雰囲気のあるカフェ・スペース。

あと、私はすごく時間が必要なオーガナイザーだと思います。自分が生活しながらじゃないと、基本的にプロジェクトのアイデアが浮かんでこない。イタリアの『チッタデラルテ』*3にレジデンスに行ったときも、イスラエルとパレスチナについてのプロジェクトの他に、やっぱりその地域の中でも何かオーガナイズしたいと思ったんですが、半年は短いなーと感じました。イタリア語ができないのに、カフェで働こうとしたんは上手くいかなかったんですが、マーケットやお店に通い、カフェに行っておじいちゃんやおばあちゃんたちとしゃべって、しゃべって。一緒に暮らしながら、ちょこちょこやったんですが、時間がなさ過ぎだと実感しました。たぶん2年ぐらい時間があったらいろいろできるかもしれないけど......。
こういう自分の生活と仕事の方向性とか、労働市場のこと、一緒にやっている人たちの状況を考えて、もしかしたら自分たちの拠点を持ち、そこを安定的に運営した方がやりたいことができるのではないかと思いました。拠点があれば、海外の繋がりのある地域でも継続的にプロジェクトを展開していけるのではと思ってます。

宮城:hanareの運営には何人ぐらいが携わっているんですか?

須川:お金の面でも責任もってやっていこうとしているコアメンバーは4人。他にも実務的に手伝ってくれている人がいるのと、毎週手伝いにきてくれるような人、なんやかんやとアドバイスをくれたりする立場の人は30人くらいいるかな。参加の仕方には、いろんなレイヤーがありますね。
Social Kitchenに関しては、割と広い範囲の人たちが使用しています。

宮城:お客さんとしては、どんな人が来ていますか?

須川:これまで私たちが培ってきた人間関係の人たち、それから少しづつ近所の若い人がきてくれるようになってます。チラシのポスティング効果はすこしづつ現れてきています。お店の紹介を兼ねたニューズレターを1000枚印刷して、近所にポスティングしています。

宮城:hanare×Social Kitchenをみていると、この周辺地域に新しいコミュニティをつくろうとしている印象を受けました。僕が若狭公民館で意識していることは既存のコミュニティを繋ぎ直すこと。その違いを感じています。今後はどういう活動を考えていますか?

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Social Kitchen 2階。オルタナティブ・スペースになっており、 レクチャーやミニ・コンサートがおこなわれる。

須川:まだ試行錯誤中です。いまはいろんな人と話をして、一緒にやろうよと話し合っているところ。近所の司法書士さんと仲良くなったので、相談会をやったり、ほかには、『台所大学』という名前で、picasomというアートと社会運動の公共性を考える勉強会や、精華大学の島本先生の美術レクチャー。デンマークの環境の取組みについて話すことがあったり、料理教室があり、演劇関係、農業関係のディスカッション/ワークショップ、12月からは展覧会があります。あとは、運営しているhanare色をもっと抜いていく、スタッフが職員化していって、たまにここで企画を考えるぐらいの方がいいのかなと思ってます。公民館の大きな目的には賛同するけれど、政治的なことや営利的なことをやったらダメというのは、ここと公民館の違う点ですね。

宮城:公民館で仕事をしていると、やりたいことがダイレクトにできない場合があります。そういうとき、〈パブリック〉っていったい何なんだろうと疑問に思います。自己規制の話しもそうだけど、尖ったことを排除して丸くしても、結局誰にも届かないような気がします。個人の中にあることがとても大事で、それが重なり合っていけるような場にしたいと思っています。

須川:パブリックって、多様なバックグラウンドと意見を持つ人が集まり、その意見を表明/表現できる場所だと考えています。それは中途半端な中立性や脱政治化された状態とは全然違う話。だから、いろんなアイデアや表現が出てくる場になったらと思っています。凄く西洋的なパブリックの概念を念頭に置いています。でもここは日本。こういうパブリックな考え方って、言語活動が活発に行われているという前提があると思うんです。それがない場所で、こういうパブリックの概念を持って来ても暴力的になることもあるし、いろんなものを表現しにくい人にとったら、来にくい場所になってしまいます。だから、「多様なバックグラウンドと意見を持つ人が集まり、その意見を表明/表現できる場所」を担保することはもちろんだけど、喫茶でのだらだらとした世話話とか、生活密着型の実践とか、相談会のようなケアの要素を持ちつつ、日本社会の中でバランスをとれたらと思ってます。

宮城:公民館もそうあるべきだと思うけど、現実的にはそうはならない部分もあって、そこが自分にとってhanare×Social Kitchenの興味深いところです。

須川:私も宮城さんの立場だったら、ちょっとずつ探りながらやってみると思いますが、大学で働いていたときは、誰かから文句言われるんじゃないかと気にしていました。誰もなにか言ってくるわけじゃないのに、うだうだ考えちゃうというか......。

宮城:公民館の制限なんかについてもそうですが、本質的なことはちゃんと条文に書かれていますよね。

須川:そう、そこはすばらしい。要は「なんでもいいよ!」ってことなんですよね。この雑多性は、まさにいま求められていることだと思います。この社会教育基本法20条と22条を忠実に実現できれば、素晴らしい場所が生まれると思います。ニューヨークにいたときに、マイノリティポリティクス、少数派の人たちの政治ということに関心を持ちはじめました。女性運動とか公民権運動が一段落したあとに、性的少数者の戦いがありました。ちょうど私がニューヨークにいた頃は、その性的少数者がまだ戦っていた頃でした。そこで、私も彼らの活動を手伝ったりしていたんだけど、なにかおかしいなと思うこともありました。自分たちの権利を守ってくれるということだけで、イラク戦争に賛成している議員を支持していて、ダイレクトな利益が優先されるのってなんだろうと違和感がありました。活動している人たち自身が、自分たちを細分化していって差別化している。本当なら一緒に共闘できるひとたちがすごく分断されていました。まずゲイの人たちがいて、つぎにレズビアンがいて、クロスドレッサーの人たちが出てきて、性転換した人が出て......。「自分は自分。私は平等に権利を得たい。」と発言できる環境自体は素晴らしいことだと思うけれど、それをやりはじめると、ゲイと言った時点でレズビアンが抜け落ちて、レズビアンって言ったらほかの人が抜け落ちていくという、こぼしていくことの繰り返しになっていく。そうなるともったいない。逆に日本では、「自分はこうである。それゆえにこういう不利益を被っている」ということがあまりにも言えない。そういうことが言える環境を作ったりしつつ、だらだら、ゆるゆる日本的に繋がる要素があれば、あんまり先鋭化しないのではと思ってるし、面白いことになるじゃないかなーと期待しています。

宮城:確かに活動していくと原理主義的になっていくきらいがありますよね。ここは住宅街の中にあって、誰でも来れるのが面白い。

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Social Kitchen 1階内観。

須川:昼間は子ども連れの主婦も多いし、通学路だから夕方は子どもたちが騒いでいる、夜は仕事帰りの人たちが通っています。常に全ての人に開かれている必要はないと思っていて、この時間帯はこういう人たちがいたり、このイベントのときは違う人たちが来たりする。でも、もしかしたらちょっとだけ重なることがあるかもしれないし、たぶんどこかでその人たちがぶつかることもあるかもしれないから、それを気長に待ちたいと思っています。私たちがどれだけジェネラリストになれるかどうか。芸術文化にしても、農業、食、環境にしても、国内外の政治にしても、プロフェッショナルになる必要はないけれど、幅広くいろんな分野で活動している人の重要性を理解できるようになりたいですね。宮城さんが若狭公民館でやっているような、シングルマザーに対してアプローチする活動をしている人も、農業をやっている人も、芸術でも、建築でも何かを変えようとしていたり、拡張しようとしている人たちを見つけて、「あんたはすごい!」ってちゃんと言えるようにならないと、ここが成立しません。幅が広ければ、広いほどいい。ここに関わる人たちが、私も含めて、だいぶ勉強しないとだめだなと思います。

宮城:公民館に務めていると、教育機関として存在意義を感じている人はどれくらいいるんだろうかと考えてしまいます。全国的に公民館を首長部局に移管する流れが加速していますが、それが良いかどうかは別にして、市民にもっとも近い行政機関として、地域づくりやまちづくりというキーワードで重要視されていると感じます。本来、公民館はさまざまな学びと情報を共有、蓄積する場であるべきだと思います。そのうえで、さまざまな専門家や地域の人たちの入口となり、交差点の機能を果たしていけたら、新しい価値を生み出す創造拠点として機能するのではないかと考えています。

Talk  若狭公民館 宮城潤 × hanare 須川咲子   

*1 スクワット:欧米を中心に、若者や社会活動家、芸術家が空き家や遊休施設などを占拠して居住するほか、社会的な施設やアートスペースなどに改装している。

*2 Grafiti Research Lab:レーザーポインタで建物に光のグラフィティを描く「L.A.S.E.R Tag(レザタグ)」やLEDを使った「LED Throwies」、「Eyewriter(半身不随となったグラフィティライターのために、目の動きだけでレーザーグラフィティを描くことができるシステム)」など、フリー・テクノロジー/DIY精神に満ちあふれる技術や道具の開発をおこなっている。

*3 Fondazione Pistoletto-Cittadellarte(ピストレット財団チッタデラルテ):アーティスト、ミケランジェロ・ピストレットが1961年より40年間取り組んできたが基になり、1998年に設立された組織。イタリア・北西部、ビエッラの町で遊休施設化していた繊維工場を購入し、1988年活動を開始。Cittadellarteの構造は細胞分裂を繰り返す生物体系をモデルとし、多様な文化、経済、生産といった分野の交点としての創造性が活動源となっている一つの巨大な実験室であり、創造性によって様々な事柄について再考し、意見を共有し、研究していく場所である。しみんひとりひとりが社会を変革していく責任を持つという考えのもとに、アート、コミュニケーション、経済、教育、栄養学、政治、生産、精神性、労働に特化した9つのオフィスが密接なつながりを持ちながら活動している。

hanare×Social Kitchen
hanare×Social Kitchenの階は喫茶&本屋さん、2階はレクチャー、討論会、勉強会、ワークショップ、バザー、ミーティング、展覧会、パーティー等々に使用できるスペース、3階はシェアオフィスとして使用されている。
〒602-0898
京都市上京区相国寺北門前町
Social Kitchen
TEL 075-201-1430
info@hanareproject.net
http://hanareproject.net

那覇市若狭公民館
〒900-0031
沖縄県那覇市若狭2-12-1
TEL 098-891-3446
info@cs-wakasa.com
http://cs-wakasa.com/kouminkan/

(2010年「アートNPOデータバンク」掲載)