平成9年に那覇市役所職員を中心に結成した、沖縄の伝統芸能エイサーを基にした創作太鼓のサークル。青少年健全育成、文化交流を目的とし、那覇市を中心に活動しています。
公民館名 小禄南公民館
サークル名 創作エイサー団体那覇太鼓
代表者名 与那覇仁(よなはじん)
活動人員 35名
設立年月日 平成9年(1997年)4月1日
活動日・時間
木・19:30~21:30
月・19:30~21:30(小禄福祉センター)
サークルの活動内容についてお教えください
正式な設立としては、1997年5月なんですが、登録上は4月1日になっています。私自身は、代表をして5年目で8代目です。24、5歳の時に代表になりました。現在29歳です。私の前までは、会長の入れ替わりが結構あって、5年続いているのは長い方だと思います。普段はカルチャースクールでエイサーやウチナーグチを教える立場にあります。
活動日は、毎週月曜日と木曜日に2時間ずつ練習をしています。月曜日は小禄の福祉センターで練習をしてます。イベントなど発表の前になると、通常の練習時間だけでは足りないので、特別練習を入れています。
演舞は沖縄の伝統芸能エイサーを基にした創作太鼓で、勇壮で明るく、誰もが楽しめるサークルづくりを目指しています。
沖縄県内のエイサーコンテストや、世界エイサー大会にも出場(3位)しています。年に何回か遠征にも行っていて、3日前は現地のイベント屋さんから依頼があり、マカオにも行かせていただきました。
サークルの魅力は?
ちょっと変わった演出や振り付けが那覇太鼓の特徴で面白いと思います。振り付けはみんなで考えています。振り付師がいる団体もあるんですが、那覇太鼓はみんなで作るというところが結構珍しいと思います。一人の人が振り付けを担当すると、その人の特徴が出てきて、それがそこのエイサーの特徴になると思うのですが、那覇太鼓の場合はある意味特徴というのがないとも言えるかもしれません。いろんな人のアイディアが入ってくるので、バリエーションがあるんです。
振り付けを考える時は、メンバーそれぞれに振っていて、その時に、「他のエイサーの振り付けを参考にするのではなく、全く違うダンスやバレエなど、エイサーに関係のない動画を見まくったらいいよ」と話しています。
海外の方が初めてエイサーを見た時の反応がとても良くて、盛り上がり方がすごいです。那覇マラソンでの応援で『YMCA』の曲にあわせて踊るんですけど、すごく盛り上がります。たくさんの外国人のラガーが一緒に写真を撮っていくんですが、一年後、同じ人が那覇マラソンに参加していて、去年撮影した写真を持ってきてくれた、というエピソードもあります。面白いですよ。
持ち曲はたくさんあって、今は踊っていないものも入れると、全部で50曲くらいでしょうか。洋楽なんかもあります。
私自身、趣味でブレイクダンスもやっていましたし、海外に行っていた時に洋楽をたくさん聞いていたということもあってでしょうか、伝統芸能に限らずいろいろなところからアイディアを得るという感覚があります。趣味がたくさんあって、それらが高じて那覇太鼓に活かされているのだと思います。三線は、教室に通っていたわけではなく、趣味で自己流で弾き始めたんです。楽器では他にアフリカのジャンベをずっとやっていたので、打楽器は元々好きですね。エイサーに関しては、実は本職というより、趣味の一環だと思っていて、自分が持っているいろいろなものをエイサーで表現しているというところはあると思います。会長という立場ではありますが、完全に個人的に楽しんでいますね。
サークルの雰囲気をお教え下さい
週2回の練習に加えて、毎週末は演舞が入ることがほとんどなので、みなさん結構忙しいです。遠征も入るので、その時には、出演するメンバーはオーディションして決定しています。
普段は、先生という立場の人は特にはいなくて、先輩が後輩に教えるという感じで練習をしています。大人だけではなく、子どもたちも新しく入ってきた子たちには、長くやっている子が教えるという風にしています。
通常の練習時は送り迎えだけではありますが、那覇マラソンや一万人エイサーの時などは、保護者の皆さんが給水係などを手伝ってもらうなど、ご協力いただいています。
サークルの参加メンバーはどのような年代が多いですか
現在35名で、子どもから大人まで参加しています。一番下は小学校1年生から受け入れています。一番上は、29歳(与那覇さんご自身)です。そのうち、15名くらいが小学生で、残りの20名が中学生以上ですね。成人はそのうち5〜6名くらいですかね。男女の比率としては、6:4くらいで、女性の方が比較的多いです。
サークル参加メンバーの地域はどちらですか(公民館付近か)
ほとんどが那覇市内の方です。一人、南風原の方がいますが、那覇よりですね。一人小学6年生の女の子が4月に引っ越ししてうるま市に行ってしまうようでなんですが、嬉しいことに、うるま市に行っても那覇太鼓に通うと言ってくれているます。続けて欲しいなと思っています。
メンバーとはサークル外での交流もありますか?
27年度の活動内容は、1年で演舞111回、遠征8回、自主公演・大会3回です。
遠征には年に何回か行かせていただいています。去年はハワイへ公演に行かせていただきました。他にもニカラグアというところに2月に県の文化振興会の依頼でエイサー指導に行く機会がありました。11月には那覇市の依頼でブラジルの方にも指導で行かせていただきました。那覇市の姉妹都市でサンビセンテ市というところに行ってきました。過去にはベトナム、マカオ、台湾、韓国、グアムなどに遠征に行かせてもらいました。
主要メンバーが中心になって、週末はほとんど演舞が入ります。練習時間は週2回ということになっていますが、演舞の回数など含めると週3〜4回エイサーを踊っています。成人の皆さんは普段は仕事をしていますし、子どもたちも平日は学校もあるので、結構忙しいではあります。学校の方でも文化面でのポイントというのがあるようで、文化的な課外活動を積極的に取り組んでいるところもあるようです。受験生の中には1年間エイサーに打ち込むために勉強をお休みする子もいますが、勉強に集中ができないので両立させるという子もいます。
今後の活動について
<後継者育成>
後継者の育成もそうですが、現在、地方(じかた)が私だけなんですね。三線を趣味でやっていたのもあって、生演奏の時は私が弾いています。人が足りない時は、私も踊りますが、今はできるだけ若いメンバーに踊ってもらえるようにしていますね。地方に入れる人がもう少し増えると良いなとは思いますが、なかなか皆さんエイサーを習いにきているのでそこまではいかないですね。ただ、慣れてきた頃に三線にも興味を持って練習してくれる人がいたら良いなとは思っています。
<青少年健全育成>
それと、健全育成にも力を入れたいと考えています。小さいうちから組織に加わるという経験はなかなかないと思いますし、習い事のように個人指導とはまた違う、何十名という人たちと毎週2日集まるだけでも良い経験になっていると思います。青年会の中での関係性とはまた少し違っていると思いますし。
また、年齢で完全に分けて練習をしている団体もあるんですが、那覇太鼓はそれはしないようにしているんです。うちでもそういう風に分けてみようか、という話は出たんですが、それは違うなということになりまして。エイサーをしっかり習うということだけであれば、その方が効率がいいとは思うんですが、エイサー以外の大人との交流も含めて大事なことがあるので、それを考えると練習の質も時間もかかるんですけど、分けずにそのままでいこうということになりました。大人の背中を見て、子どももいろいろと学ぶと思うので。また、子どもみるということは、大人のためにもなると感じています。
取材者名 与那覇仁(会長)
活動歴 5年目
サークルに参加したきっかけをお教えください
<カナダ留学を経てツアーコンダクターの道へ>
高校からカナダの高校に通っていまして、卒業して帰ってきて、その後オーストラリアのタスマニアにある大学に通っていたのですが、中退してツアーガイドの専門学校に1年通って資格を取りました。専門学校卒業後も3年程オーストラリアに残ってツアーコンダクターの仕事をしていたんです。
海外に行くことで沖縄の文化を意識しました。特に、オーストラリアにいる時には、アボリジニーの文化が残っていたんですが、イギリスに植民地化されてその文化がなくなってしまってということを専門学校の授業で習うんですよね。琉球の歴史とも重なる部分があって、沖縄だと文化がなくなってしまうことに対してそのままになりがちなんですが、オーストラリアでは先住民ももうほとんどいない状態なんですけど、文化や言葉を残そうということを必死にやってるんです。そこが沖縄とは違うところだなぁと感じました。沖縄でも文化も言葉も残そうと言ってはいるけれど、動けていないところがあるなと思うと、自分のルーツについても考えるようになりました。それで7〜8年前に沖縄に戻ってきたんです。
<エイサーとの出合い>
その時はエイサーには特に興味は持っていなかったんです。たまたま、那覇市が主催していた「うちな〜ぐち講座」というのがありまして、無料講座だったので参加したんです。
講座は半年くらいの期間で、最後の発表会の時にエイサーもちょこっと習って発表しようということになり、受講生みんなでエイサーを習ったんです。その時エイサーを教えにきてくれたのが、『那覇太鼓』のメンバーだったんです。当時は『那覇太鼓』のことも全然知らなかったし、エイサーをやりたいと思っていたわけでもなかったんですけど、「入らないか?」と勧誘を受けたんです。「入ったら女の子いっぱいいるよー」という誘いに乗って(笑)。そんなノリで入りました。講座の受講生で入会したのは私一人だけでした(笑)一人ではあったんですが、「飲み会いっぱいあるよ」ということも聞いていたので。それに、沖縄に帰ってきたばかりで、沖縄の文化に興味もあったということもあったと思います。沖縄の文化に触れるようなことであれば何でもやってみたいという気持があったので、同じ時期に舞踊も始めて、通っていたんです。入った当初は、エイサーは続いても1年くらいかなとは思っていたんですけどね。
それでエイサーを始めて3年目くらいの時に会長になったんです。3年目で会長になるというのは、異例ではあったんですけど。普通は5〜10年くらい続けてから会長になるんですが、ちょうどその時に新しく会長を決めないといけなくて、誰もいなかったので私が引き受けることになったんです。会長に特に年齢制限はないんですが、私が教えてもらった時の会長も20代でしたね。皆さん30代くらいになると現役ではなくOBとして関わる方がほとんどです。
ウチナーグチを教えてくれたのは、比嘉光龍(バイロン)さんでした。講座の後も個人的に教えてもらっていて、一緒に活動させてもらっています。光龍さんが出版した時には、出版記念LIVEで私は舞踊を踊ってコラボしました。全部繋がっていて、好きなことをやっているだけなんですが、楽しんでします。
海外で海外の良さを伝えるのもいいんですけど、やっぱり自分の地元の良さを伝えたいなぁと思って、沖縄でもガイドの仕事をちょこっとしながら、沖縄の文化芸能を表現して伝えられることができたらと思っています。
サークルを続けている理由/たのしいところをお教えください
会長をして5年目ですけど、私がずっと会長のままだと育たない部分というのがどうしても出て来ると思うんです。なので、活動しながら同時に後継者も育てていかないといけなんですけど、なかなか辞められないのは、後輩たちが人間として成長していくのをみるのが楽しいんですね。エイサーが上達するということではなくて、人間性の部分での成長ですね。もっと良い経験をさせたい、もっと成長させたい、という気持ち続いていますね。メンバーのために何かしたいという気持があって、私自身はもう踊らなくていいと思っているんです。裏方で良いと思っています。
サークルでの目標やモットーにしていること
那覇太鼓としては、イケイケの年頃の人たちがやっている感じで、大会でもいい成績を残すというのをこれまでは力を入れていたんですが、最近は子どもたち(小学生)が増えてきたので、健全育成にも力を入れていきたいと思っています。エイサーだけを教えるような団体ではなく、エイサーを通して人間関係だとかを教えていけるようなことができたら良いなと思っています。那覇でもなかなか学校に行けていない子もいて、那覇太鼓にもコミュニケーションに問題を抱えている子たちもいるので。
実際、エイサーをすることで変わった、という子もいるんです。一昨年、障害を抱えている子を受け入れたんです。面白いのは、最初は少し悩んだんですけど、その子の成長のためにと思って受け入れたんですが、実際はそのまわりの方だったんです。エイサーを教えるにも、普段と同じような伝え方では伝わらなかったりするんです、そこでどうにかして伝えたいと思ってまわりが一生懸命やるんですね。何か、とても感動しましたね。
身体的にも知的にも障害を持っていて、20歳の子です。2年目で、なかなかイベントでの演舞には出演してはいないんですが、公民館祭りだったり、地域の催し物には出演できるようにしています。今後は、特別支援学校との連携だったり、福祉的な意味を持った活動もして行けたらなぁと思っています。エイサーが上手になること以上にそういったことがもっと大切だなと思います。登校拒否の子たちでも、学校に行けなくて自宅に籠るしか選択肢がない、というのではなくエイサーをただ踊りに来てくれるというのもいいかなと。誰かとしゃべったり、何気ない時間というのが一日のうちに少しでもあった方が良いだろうと思いますし。受け入れ態勢を作りながら、地域と連携していけたらといいなと思います。
また、珊瑚舎スコーレでも講師をしているんですが、そこでもいろいろ勉強させてもらっています。結構ユニークな講師が集まっています。そこでの経験や繋がりを活かしながら活動していけたら良いなと考えています。
公民館を利用して便利な所
公民館がないと活動できないので、必要だと思っています。それ以外でも清掃活動だったり、地域のイベントで、普段はエイサーしかしていない子どもたちが掃除をしたり、花壇をきれいにしたり、地域のボランティアの方たちが鍋を作ってきてくれたりして交流できるというのが魅力ですね。同じ世代だけではなく、子どもからお年寄りまで世代を超えた交流ができるのがとても良いと思っています。
公民館を利用して改善してほしいところ。ここを良くしたらいいのにと思うところ。
<地域交流の場として>
小禄南公民館の利用団体の会長もして3年目なんですね。公民館でも利用団体同士の交流会やボーリング大会やゴルフなんかをするんですけど、それぞれの団体だけでの利用で終わってしまって、各団体のメンバーの顔も名前も知らないという状況が結構多いと思うんです。せっかく地域の人たちが集まれる場所なので、自分たちの活動の枠を超えた交流ができたら良いなと思っています。
<公民館利用の課題>
また、まわりでいろいろ活動されている人の中で、活動場所を探している方も多いんですが、公民館を活動場所として思いつく人が少ないんです。公民館を借りたら、と提案したら「公民館って使えるの?」という反応が返って来るんですね。公民館が利用できるという感覚があまりないので、もっと周知していけたらなと思っています。小禄南公民館も空いている時間はあるので、もったいないなと思っていて、ただ、難しいのは活動時間が重なるので、うまく空いている時間に入れるということができないのも現状なんです。
新しいサークルや活動団体はできているんですが、定期で利用している団体が更新していくので、新規で入りにくいというのはあります。私たちも長く公民館を使わせてもらってはいるんですが、本当は他にも使いたいという人たちがいるんだろうなというのは考えていて、平等に利用できる方法を考えていかないといけないんですけどね。そうすると自分たちの練習する場所がなくなってしまうので、悩ましいところです。抽選にしたら良いのかなとも考えますが、酷ですよね。うまい具合に新規の方たちが利用できる方法を考えて行きたいです。これは課題だと思っています。
各公民館の空き情報なんかも、ネットで確認することができたらとても便利だと思います。近くの公民館であれば、言って直接聞くこともできるんですけど、どうしても時間がかかってしまうし、電話で確認するにしてもタイミングが悪いときは電話が繋がらないということもあるので。人が対応する温かみという良さもあるんですが、忙しい時や急いでいる時なんかはネット上で情報が確認できるとありがたいですけどね。私自身、公演などでてんぶす館やパレット、てぃるるとか、空き情報をネットで確認するんですけど、すごく便利なんですよね。
取材日 :2016 年1月20日 担当: 平良亜弥