12月27日に実施した『モヤモヤ読書会。』
20名あまりの参加者が集まり、みんなでモヤモヤしました!
今回の読書会の課題図書はこちら。
公民館は、どう「語られて」きたのか?戦後七十年の議論から考える公民館のこれから
<第40回全国公民館研究集会東京大会と区別配布資料>
編集・発行:公益社団法人 全国公民館連合会
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この本は、戦後の公民館構想がでて70周年をむかえ、
今年、全国公民館連合会(以下、全公連)が主催する
公民館研究集会の40周年ということもあり作成されたそうです。
公民館って一体なんなのかという議論の
その先、これからの公民館として進むために書かれているそうです。
その著書である牧野篤さん(東京大学大学院教育学研究科 教授)がこちら。
牧野さんを囲んで、公民館についてモヤモヤすること、疑問に思うことなどを
みんなで共有しあおうということで、今回読書会を開催しました。
まずは、公民館構想についてざっとおさらいです。
公民館構想ってなに?
公民館の目的と役割をまとめたもの、それが公民館構想です。
初期公民館構想が出たのは1946年。
文部次官通牒という通知により、
戦後の公民館構想が政策として打ち出されました。
戦後復興のために、公民館の設置を推奨する通達には
公民館を各団体が総提携して町村復興の底力を生み出す場とし、
さらに、上からの命令で設置されるものではない、としています。
町村民の自主的な要望と努力によって設置され、
創意と財力によって維持されていくことを理想としていました。
これは、日本国憲法(1946年11月)、
教育基本法(1948年)や社会教育法(1949年)よりも前に出されています。
教育基本法が施行され、教育委員会に社会教育という部門ができます。
そこで公民館は、社会教育部門に置かれることになります。
1954年、公民館の設置を説明する解説書といわれる「公民館図説」が、
当時の文部省公民教育課長・寺中作雄氏らが作成した構想案を
連合国総司令部(GHQ)成人教育担当官・ネルソン氏らがまとめます。
その解説書にあるのがこの絵。
・公民館は民主的社会教育機関です。
・公民館は村の茶の間です。
・公民館は親睦交友を深める施設です。
・公民館は産業振興の原動力です。
乳飲み子を含む多世代で炉裏を囲んだまちの茶の間の絵。
この絵は、次の世代のことを考えながら
自分たちの村のことを考えていこう、
次の世代をちゃんと育成しましょうという意思の表れだそうです。
敗戦後、アメリカ統治下であった日本。
非軍国主義と民主主義の二大方針をもとに
憲法も教育も、そして社会教育としての公民館も
GHQの占領政策としてつくられていきます。
戦争による大きな打撃を受けた日本と国民は、混乱の極地にありました。
戦争に向かっていた時代から一変して、
新しい秩序を立てなおし、平和に向かうためには、
さまざまな議論が起こったであろうと思います。
国民は、自分たちで自分たちのまちを立て直すことに
ただただ懸命だった時代だったのだろうと想像します。
生活が一変する中で出された“第一次公民館構想”
戦争で壊れたふるさとをみんなで総掛かりで立て直そうと
お互いにどうしたらいいかと話し合う場であった公民館。
それが、第一次高度経済成長期(1955年~65年くらいまで)、
社会がガラッと変わっていく時期に入っていきます。
だんだん会社に勤めていけば生活が安定していくと、
公民館は文化活動や個人の趣味・娯楽の場を提供する
市民サービス提供施設として変わっていきます。
そうした中、戦後20年経ったところで、
公民館関係者の連合体である“公民館連合会”が組織する
専門委員会によって、第一次構想が出されます。
ここでは、戦後復興の過程で、法制度が整備され、
教育委員会の所管となったことで、
一般行政との直接のつながりを失ったことが
住民生活と疎遠なものになってきていることが指摘されます。
そして、人々の自主的で自発的な社会教育の自由を保障して、
公民館を使いながらみんなが人生のことを考えてしていきましょう
ということが議論されました。
「公民館は、住民の生活に必要にこたえ、
教育・学術・文化の普及ならびに向上につとめ、
もって地域民主化の推進に役立つことを目的とする。」
この第一次構想「第一次あるべき姿」では、
“国民ひとりひとりが自分の頭で考えて行動する”
という住民自治能力の向上の理念が強く示されるものとなりました。
個人主義から学び続ける時代へー第二次・第三次構想
第二次構想は、その5年後くらい後の1970年。
ちょうど大阪万博が開かれたくらいの年で、
都市化が進展して、都市過密問題が出てくる時期です。
農村から人がどんどんいなくなって過疎化問題、
個人主義的になっていく中、
都市型の公民館はどうあるべきかというこが議論になりました。
「第二次あるべき姿」は、“都市化”をキーワードに
生涯にわたる「学習」の保障と
専門施設としての性格を強める内容となりました。
その後、第三次構想は1984年、
高度経済成長が終わって安定成長する中で、
高齢化や校内暴力・不登校などが社会問題となった時代です。
「第三次あるべき姿」では、
学校教育を中心とした社会ではなくて、
みんなが学び続けていく“生涯学習時代”において、
公民館は、公教育機関であると明示されました。
さまざまな社会問題に対する危機意識から、
公民館には専門職員を配置し、
住民に学習活動を動機づけ、参加するように促す
公教育の場であるとしたのです。
このように、戦後から社会が変化していくたびに
公民館構想(あるべき姿)が出されてきました。
そこから30年。
一旦あるべき姿論は終わりにして、第三次構想が出された当時とは
また社会は変化しているので、未来に向けて
これからどうしたらいいのという話をしようということを確認して、
本題のモヤモヤをみんなで出し合うことが始まりました。
モヤモヤ読書会。
2017年12月27日
会場:那覇市若狭公民館第1研修室
ゲスト:牧野篤(東京大学大学院教育学研究科 教授)
課題図書:公民館は、どう「語られて」きたのか?
後援:沖縄県公民館連絡協議会
パーラー公民館
企画・主催:NPO法人地域サポートわかさ
設計・監修:小山田徹/制作:High Times うえのいだ
支援:沖縄県、公益財団法人沖縄県文化振興会
「平成30年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業」