11月15日
ポストポスト部でまちまーいをしました♪
実は、昨年ポストポスト部に岡山県からこんなお手紙が届きました。
そのお手紙の中には、大正時代の沖縄が撮影されたポストカードが同封されていました。
首里城、識名園、辻、漆職人、ハブ取り名人、パナマ帽などなど、興味深い写真がたくさんあります。
ポストポスト部では、その中から若狭地域の写真を4枚選び出し、写真に写っている場所が現在どうなっているかを比較するために街歩きをすることになりました。
街歩き前日。
まずは、現在の地図と古地図を見比べて現在地を探し出します。
道や建物がだいぶ変わっているので、完全に特定することは難しいですが、ある程度の場所は絞り込みました。
さぁ、準備は整いました。
いざ出発です!
まず初めに向かったのは、コチラ。
那覇商業高等学校です。
現在は松山公園の隣に位置していますが、当時は今の那覇中学校の場所にあったようです。
那覇中学校に到着しましたが、写真の校舎の正面がどこに向いているのかがよく分かりません。
話し合った結果、おそらくこの向き。正面ではなく、斜めを向いているような感じです。
図にするとこんな感じです↓
続きましてコチラ。
下の方には、琉球特産 漆器製造と書いています。
若狭は、漆器づくりが盛んだった地域で多くの職人が暮らしていたそうです。当時は、漆器の素材として使われるデイゴの木の並木道があり、若狭町を通ればあちこちの家から漆のにおいが漂い、木陰には下地を塗ったお盆などが干されていたりしたようです。
当時の情景を思い浮かべるだけで、風情のある素敵なまちにワクワクします。現在も若狭地域各所に説明書きが各所にありました。
このポストカードに場所の記載されていませんが、おそらく若狭地域だろうということでこの場所を選びました。
この場所で活躍した漆職人の気持ちになって、当時の工房内の様子を再現。
結構な再現度ではないでしょうか?
引きで見るとこう。
通りすぎていく方々にあやしい目でみられていました。
さて、続きまして辻のまち。
写真の下には、那覇辻ノ中道(遊郭)と記されています。
さっそく辻のまちに向かって歩きます。
まずは、辻村跡(チージムラアト)に寄って、辻村についてちょこっとお勉強。
「15世紀以降、東南アジア諸国や日本と交易を行った時代、中国からの冊封使一行や大和からの商人等をもてなした「ジュリ」が居たといわれる。政財界の要人、官公庁・教育界の指導者をはじめ、地元の商人などが出入りし、接待や宴会が行われた。また旅客が宿泊する場所ともなった。ジュリは、これらの客をもてなし、安らぎを与えるために、料理や唄・三線・琴・踊りなどの芸事にも磨きをかけ、沖縄県下最大の社交場「華やかな」場所として知られた。(参考:那覇市歴史博物館/辻村跡(チージムラアト)」
辻村についての知識をつけた後は、写真の場所を探します。
辻村の中道といっても、1本だけではないので絞り込むのが難しい・・・。
古地図を見ながら、おそらくこの辺だろう(得意技)と想定し、写真撮影をしました。
手前右に写っている長屋の雰囲気がなんとなく似てます。
そんなことより、なんだかこの写真かっこよくないですか?
どっかのアーティストのCDジャケット風。とてもサマになっています。。
最後は那覇大正劇場です。
ここの場所は、ネットで検索してみたり、那覇市歴史博物館や昔の映画館に詳しい方など、様々な人に聞いて下調べをしましたが、なかなか現在の場所が特定できませんでした。
そこで、ある論文に大正劇場の場所について書かれていたので、この文章を頼りに探してみました。
「帝国館の新築開業から約 9 か月後の 1914 年 11 月 27 日の『琉球新報』には、新埋地遥 拝式場跡に新しい劇場を建てるための認可が出願された、という記事が出ており、敷地が 約 300 坪で建坪は約 120 坪とある。これは後に連鎖劇を導入し、さらに映画常設館へと衣 替えするなどして、帝国館のライバルとなる大正劇場のことだ。場所は当時の那覇区西新 町三丁目 14 番地、現在の那覇市西消防署通りの西(北)交差点から西のパシフィックホ テル方面へ約 200 メートル進んだ右手付近と推定される」
ところが、検索した住所でたどり着いたのマンションのある十字路。終戦後、西町は倉庫街として栄えていたので、古くからの大きな倉庫施設が多くあるので、聞き込み調査もしましたが、正確な場所は結局わかりませんでした。
ここら辺かなぁと写真をとりながら、大正時代の写真をよく見てみると、奥に少しだけ山のようなものが写っていることに気づき、「あ!奥武山方面に山っぽいのが見える!」といことに気づきました。
ということで、おそらくここら辺にあったのだろうと写真撮影をしました。
ここでも完全に怪しい団体。通行人からするとなんの変哲もない場所で横並びになって撮影している人々。
きっと怪しさ満点だったに違いありません。
ですが、今日行きたかった場所をすべてクリアし、近くのスーパーに寄って「よし帰ろう〜」となっていたとき、あることに気がつきました。
ん?!この造りこれ大正劇場に似てない?!
確かに、屋根の三角帽子の角度がうりふたつではありませんか!
もしかしたら、大正劇場をモデルにしてこのスーパーができたのかな?!と盛り上がりました。
多少強引に思われるかもしれませんが、必死な私たちは何かと理由をこじつけないとやってられません。
こうして、謎の達成感に満ち溢れながら、帰宅路についたポストポスト部なのでした。
今回撮影した写真は、公民館前の掲示板にて紹介するので、ぜひお楽しみに!
「懐かしいな〜」「こんな時代も合ったね〜」や、反対に「へ〜そうだったんだ!初めて知った!」など
さまざまな世代に楽しんでもらえると思います♫
この時の動画を部員の1人が動画にまとめてくれました!
まちまーいの雰囲気を味わえると思いますので、ぜひご覧ください♫
NPO法人地域サポートわかさ
「アーティストと開発する社会教育プログラム」
支援:沖縄県、公益財団法人沖縄県文化振興会
「令和3年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業」